2022年1月17日月曜日

日光道中21次ノハジメ①

 日光道中21次ノハジメ

日本橋より千住宿をへて草加宿まで

先日長い年月をかけて東海道53次を踏破しましたが、歩いている中でたくさんの街道歩きの魅力を感じ、また街道歩きをしたくなり、新たに日光道中を歩くことにしました。

「日光街道」という呼び名は明治のころからだそうで、江戸の頃に沿って「日光道中」と表記する事とします。日光道中を踏破した後は奥州道中も歩く予定でおります

さて、早朝日本橋。五街道、旅の拠点はいつもここから。


まだ人通り少ない日本橋、現代ではまだお店も開店してはおりませんが江戸の頃は魚河岸があったため、早朝でもたいそうな活気だったそうで

こちらは日本橋魚河岸発祥の地碑。静かな日本橋にたたずみ、昔を想うと 活気づいた江戸の頃の声が聞こえてくるように感じます。

さて、街道歩きをする際はいつも最初に出会う神社に参拝をするのが私の中のルールというか、習慣なのですが今回も福徳神社へ参拝をしたのち出立します


まずは日本橋室町三丁目交差点を右折し道なりへ。大伝馬町、小伝馬町、馬喰町と過ぎる。この辺りは馬の市もあったようです

浅草橋を渡ると浅草見附跡。


浅草橋駅を過ぎ、先へと歩きます 隅田川と並行するように旧道を歩き途中、「駒形どぜう」


どじょうって食べたことないなぁ…なんて思いながら歩く。

駒形橋西詰より道を反れ、突き当りが雷門。

朝早いのでまだ人影まばらですね。吾妻橋から言問橋西詰まで行き、先へ。

東浅草を過ぎると泪橋。泪橋は小塚原刑場に引き立てられる罪人が現世への別れとして涙したとも、また罪人の身内の者が涙の別れをしたともいわれたことからこの名がついたそうな。

先を進むと南千住駅を越え、国道を渡る。ちょうど国道を横切ったところにスサノオ神社。その先に千住大橋。


橋を渡ると奥の細道矢立初めの地碑があります。芭蕉が奥の細道での最初の句を詠んだそうです


このあたりは民家の軒先に「屋号」を掲げてあるおうちも多く、昔はそんな商いをしていたんだなぁ、とか想像する事が出来ます。北千住駅付近になりますが、商店街が千住宿としてPRしているため街道沿いに案内もあります。進んで行くと千住高札場跡、問屋場跡があるのですが民家も多く人通りもあるので写真を撮るのがちょっと難しかったです




最初の宿、千住宿。


案内板だけになりますが、千住宿本陣跡。

***

途中、一休みしてお団子を。


おもちがふわふわで美味しかった。実は浅草界隈、千住界隈、昔からなじみのある土地で本当に何度も来ているので真新しさは感じないものの「街道を歩く」とテーマがあるとまた違った面も見えるようで、今まで見過ごしてきたものもまだたくさんあるんだなぁと感じました。

旧道を進むと、商店街を抜け荒川手前に差し掛かります。千住新橋を渡り、


ひたすら進みます。駅でいうと梅島駅を越え、途中いくつかの道標もあります


特に寄るところもないのでひたすら道なりに進んで行きます。途中国道4号を越え、駅でいうと谷塚駅を過ぎ、その先草加宿へと入っていきます。

途中明治初期建築の国登録有形文化財、藤城家があります


その先に草加宿、本陣跡。



ということで、草加宿到着!今回はここまでで一旦終了となります。

しばらくは日帰りで動こうと思うので次回はまた草加宿を起点に歩き始めます。

日光道中、これより続きます