2023年4月30日日曜日

鎌倉街道をゆく。⑤

 前回のお話はこちら

世間ではGW突入。私は仕事の関係でGWというものはありませんが、お休みだったのでまた歩いてきました。

早朝の電車に乗り、八高線の用土駅、前回の終着ポイントまで向かいます


誰も居ない用土駅。ストレッチを軽くしてから歩き始めます。

駅を出たら左手に進み、国道175線に出る。ちょうど国道との交わるところに諏訪神社があるので、参拝してからいきます


175号線をひたすら道なりに行き、秩父鉄道の踏切を越え、国道140号の先まで行くのですがひたすら単調に道を歩くことになります。

ですが、街道の途中 途中に庚申塚や供養塔、石仏などがあり かつての人々の暮らしにいくらか心が沿うことが出来る道だなぁと思いました。


石仏の右側に建てたときの年号、左側に建てた人が刻んであるので読める範囲で石を観てみましたが、薄くなっていてなかなか読むのが困難。

用土付近にあるものは文政年間に建てられたものが多いのかな、と思いました。

最初のは文政12年、用土村の人たちで建てたような事が刻んでありました。

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道の途中には鎌倉街道上道の案内板も。

踏切を越え、国道140号に出る。横断できる感じではないので、回り道をして大淀大橋の陸橋を渡りました。

荒川にかかる橋、大淀大橋からの展望を観てみると、たくさんのキャンパーたちが。

さくぽんをお看取りした後、そういえばキャンプしていないなって思うので久しぶりにキャンプでもしようかなと思いました。

国道140号の一本奥に入った道が旧道なので、そちらを歩きます。

茶々が井戸がありました。


ここには昔茶屋があり、たいそう美人の娘が働いていて遠方からも娘見たさに茶屋に足を運ぶ人が痛そうです。

道なりにまた歩くのですが、途中でトイレ休憩の為一旦国道に戻り、道の駅はなぞのに寄りました。最近、日本酒が飲めるようになったので地酒なんかをみたりしつつ、みそ団子も食べました。


あまいお味噌の団子、美味しかった。

また旧道に戻り、進んで行くと石仏群が。


読めたもので、文化四年と彫ってあったので今から216年前に建てられた石仏でした。

昔の人もここで手を合わせたんだなぁ、と思いながら私も静かに手を合わせてまた街道を歩きます。

花園橋を渡る。



橋が大きいので交通量もなかなかですが、橋を渡り切りしばらく進むとしたに降りられる箇所があるので、車に注意しつつ ぐるりと回りこむように橋を降ります。

荒川付近に進むように歩き、突き当りを右折。川そばの道だし、季節柄虫が多い。


日焼け防止で帽子(首うしろをカバーできる)をかぶっていて正解。
ハットに虫がへばりついていたり、気が付くとTシャツに虫がくっついていました。
ブーンと羽音を立てて、こちらめがけて飛んでくる虫たちもいて笑いました。

虫はたくさんいたけれど、人には一人も会わず。

途中、鎌倉街道上道の道標もあります。


こちらの街道の道標の向いにある登り坂の細めの道が旧道。

坂を登り切り、広めの道に出ると普光寺の付近に出るので参拝。



藤の花が美しかったです。普光寺のわきの鎌倉街道の道標はご住職が建てたものだとか。

普光寺を後にすると、元来た広めの道から本日のゴール地点、男衾駅を目指し直進となりました。


終着ポイント男衾駅着。 今回はさら~っと歩いてしまい、4時間歩いただけだったので非常に楽ちんでした。
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時間も昼とまだ早かったので、東武東上線の小川町駅で下車し、前回行ったときに気に入った温浴施設に向かいました。



のんびり温泉とサウナを楽しみ、食事をとり お昼寝までしてから帰りました。

今回もとても楽しい鎌倉街道歩きでした。

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鎌倉街道、まだまだつづく。


2023年4月2日日曜日

鎌倉街道をゆく。④

 前回のお話はこちら

鎌倉街道の続きを歩いてきました。

朝早い電車に乗り、前回の終着スポット丹荘駅まで。

丹荘駅へと向かう八高線は、車窓からの景色も、電車の揺れる振動や座席のきしみもとても素敵でなんとも癒される電鉄でした。あと何回か八高線には乗る予定なので今後もとても楽しみ。

この日は朝からとても寒かったので、駅に着いたらストレッチをしてから歩くことにしました。(大事)予定では20キロいかないくらい歩く予定。

丹荘駅の踏切を渡り、南東へと歩きます

途中の田畑の多い道沿いにチューリップがたくさん植わっていたり、椿の花が満開だったり春を感じながら歩きました



まず最初に出会った熊野神社にて参拝。


熊野神社のあるあたりは八日市とよばれ、毎月8日に市が立ったそうです。

熊野神社から住宅街の間を縫うように歩き、八高線の線路付近に近づくように歩くのですが、途中に龍清寺。


境内に建つ大木が空に向かう龍のよう。

龍清寺のほど近くに、江戸時代の国学者・塙保己一の生家、文化財)


国道462号線のあたりより、線路沿いに進み、途中でまた街中にすすみますが、競進社模範蚕室があり、立ち寄りました。





蚕の糸を紡いでいた当時の人々を思いながら頭の中に古い映画、野麦峠の映像が流れていました。館内には私しかおらず、じっくり展示を見られましたが、野麦峠が頭からはなれず、苦しくなったので足早に退館。係の方と少しだけお話して、この先の道中気を付けて、と送り出して頂きました。

ここから、雉岡城跡に寄り、少しだけお花見をしました。





満開の桜がとっても綺麗だった。降ってくる桜の花びらをつかもうとしたけれど、なかなか花びらを手に掴むのが難しかった。

城跡からほど近くの塙保己一記念館に寄り、塙保己一の生涯をすこし見たりして、あまりにも自分と違いすぎて愕然とした。幼いころ視力を失い、母親も早くに亡くし苦労して文字を覚え、国学者となった塙保己一、死んでしまおうとおもった事もあったと書かれていたけれど、生涯を生き抜いて世のためになる痕跡を残していったなんてすごすぎる。あまりにも人間力が高くて愕然とした。私なんて後数回生まれ変わってもそこまで崇高な人生を歩む事は出来ないだろう、と思った。


街道歩きはこうやって今までは通り過ぎていた歴史上の人の一面を学ぶことが出来るな、と思いながら、資料館を発つ。

かつての商いの宿場町の雰囲気を残す児玉らへんを抜ける。




八幡神社の入り口には高札場跡があります。八幡神社のお社の彫刻が素晴らしかった。

街道はこの先小山川を越える


小山川を渡り、ガリガリ君で有名な赤城乳業の工場脇をぐるりと回るように歩き


工場脇に一里塚。


鎌倉街道では一里塚をあまり見かけないので、あるにはあるのねと思ったり。

(昔は本当に一里ごとにあったと思うけれど、宅地化や道路整備でつぶされている)

途中鎌倉街道の案内板があったりして、街道の名残は無いけれど迷うことは無い感じ。

しばらく進み、さらし井。





さらし井は万葉集に関連するかつての井戸ですが、今の井戸は近くを流れる一級河川の工事で枯渇したそう。昔はこんこんと湧水が流れていて洗濯をしたりしていたそうな。

さらし井の脇にある薬師堂の修繕工事をされていたおじいちゃんがいて、色々お話を聞けた。以前、市の文化財を扱うお仕事をされていて今は引退したと言っておられましたが、薬師堂の中の仏像のお話や地域のお話、貴重なお話を聞けてとても楽しかった。

おじいちゃんに気を付けてと送り出して頂き、こころが暖かくなった。

さらし井近くには常福寺。



平安時代の阿弥陀如来像が鎮座するそう。(有形文化財)

そのあとは八高線用土駅方面に向かいゆるゆると175号線ふきんを進んでいってこの日の終着点へと向かいます。

途中で食事をとったり


このボリュームで850円✨

蔵元があったので、お酒を買ったりしました。



終着点は八高線、用土駅。


用土駅で1時間ほど電車を待ち、帰路に向かう途中小川町駅にあるスーパー銭湯に寄ってから帰宅しました。


(夕食もしっかり取ってから帰宅)

今回の鎌倉街道はおじいちゃんとのお話がきけて本当に良かった。どうか元気で長生きしてほしい。


鎌倉街道上道、まだまだ続く。