2020年11月1日日曜日

初めての富山。

 夏休みの後半は富山へも出かけました。

北陸新幹線のきっぷを半額で購入し(お先におトクだ値スペシャルで)はくたかに乗ってまず黒部宇奈月温泉へ。そこからタクシーを使って宇奈月駅へ。

トロッコ列車が走っている様子なので、トロッコに乗ることに。

黒部宇奈月駅から宇奈月駅へのアクセスは電車に乗って30分ほどなのですが、新幹線の停車駅との乗り継ぎ時間のタイミングはあまり良くなくてタクシーを利用しました。

タクシーは前日に電話予約して正解◎タクシーが出払っていると相当待つことになるとタクシーの運転手さんが言っていました。

タクシーで30分程、料金は6000円しないくらいでした。トロッコの予約も事前に済ませていたのですが、もう1本早い時間の列車に乗れるようで窓口の方が振り替えてくださいました。
トロッコ列車で終点の欅平を往復するコース。

トロッコ列車とても良かったです。
写真で紹介。


トロッコが走っている間は室井滋さんの解説で各駅や途中の見どころを紹介してくれます。


途中、素敵な橋があったり

色づき始めた山々が綺麗。


写真にうまく取れませんでしたがダムの間も通りました。


欅平で下車し往路の列車までしばし散策。徒歩20分の所にある名剣温泉へと向かいます。



ふと空を見上げると、山々がくっきり。
久しぶりにこんな感じの場所に来たなぁ…と深呼吸する。


風が吹くと枯葉が山から舞い降りてくる。冷たい風。歩いていて本当に気持ちよかった。


名剣温泉に到着。日帰り入浴の旨伝えて温泉へ。 温泉は貸切状態で宿の方も他にお客さんがいない場合は写真に撮ってもOKとの事で許可をいただいたので写真も撮ってきました。


ゆのはなの浮かぶ温泉につかり足を伸ばす。風に舞い落ちる山からの枯葉を見ながらの温泉。最高でした。体がだいぶ冷えていたのがわかり、温かい温泉が心地よく、贅沢な時間を過ごしました。

名剣温泉を出た後はまた欅平のほうまで戻り、途中の山荘で山菜蕎麦を食べました。


帰りもまたトロッコに乗って宇奈月駅へ。さて今夜のお宿に向かいます。
宇奈月駅まで送迎が出ていたはずなのですが送迎車が見当たらず、ただ駅からも宿が見える距離なので歩いて向かう。

今回宿泊したのは延楽さん

実は1年半ほど前からサウナに入るようになって、今では月の半分はサウナに行ってるのですが、延楽さんはサウナ室があるのでお宿をこちらに決めました。


窓から見える紅葉も素敵で、すごく良かったです。

食事はこんな感じでお部屋食です。


この他にも和牛(しかもA5ランクのお肉だった)のしゃぶしゃぶが付いていてかなりまんぷく。しゃぶしゃぶはうまく写真に撮れず…(しゃぶしゃぶしてるお肉を撮るの難しい)

温泉は言わずもがな、最高でした。特に檜の露天風呂、気持ちよかった~
サウナも他に利用する人がいなくてずっと貸し切りで、水風呂の水も柔らかくまろやか。
やはり水の美味しい綺麗な所は水風呂も最高です。

館内もお土産処があったり、バーや卓球も出来たりするようですが、お土産屋さんだけちらりと散策してお部屋でのんびりして早めに就寝。 翌朝は早朝に起きて入れ替えになった露天風呂に行き、薄暗いなか他にお客さんもおらずしっかりと温泉を堪能して、大浴場でもまたサウナに入ってきました。

部屋に戻ると朝食。


朝はこんな感じ。
お米が本当に美味しくて塩粥も食べたのに3杯おかわりしました。
昨夜も今朝も残さず完食してしばしゆっくりしてからチェックアウト。

宿の方に黒部宇奈月温泉駅(新幹線の発着駅)まで送っていただき、そこから新幹線1駅だけ乗って富山駅へ。

富山ではスパへ寄ったり


富山城を見学したり


富山城の所にある庭園を散策したり


近隣にある市役所の展望室にいって立山の山々を見たり(ガスっててよく見えませんね)


回転寿司で食べたり、ちょっと気になっていたブラックラーメンを食べたりして夕方まで遊び、17:00過ぎの新幹線で東京まで帰ってきました。

ブラックラーメン、こちらなんですが真っ黒。

醤油味の濃いラーメンでして… かなりしょっぱかったです。
汗をたくさんかいた後の塩分補給にいいかもしれません。

富山では以前から行きたかったサウナにも行けたし、富山城では3Dの富山城が出来るまでの歴史が面白かったし、平日なのもありのんびり散策出来ました。

またGOTOによる地域共通クーポンも6000円分ついたため、お土産代やお寿司代など全部クーポンでまかなえてしまい、ありがたかったです。

富山旅、とっても良かった。今度は立山のほうにも雪が解ける頃行きたいな、と思います


2020年10月27日火曜日

東海道53次ノツヅキ⑲

 東海道53次ノツヅキ⑲

~宮宿から桑名宿をへて四日市宿まで~

前回のお話はこちら

さて、お久しぶりの東海道53次、旅してきました。

朝早くこだまに乗って名古屋へ名古屋から熱田神宮前まで行き、前回の終着点宮宿にある東海道道標まで。


ここからスタート。
とても良いお天気で歩きやすそうな秋晴れ。
颯爽と歩き始めます。 昔は船で宮宿から桑名宿まで七里(27キロ)渡りました。
その「渡し」のあった場所まで向かいます。
道標そばの陸橋を越えて、堀川沿いに向かって歩くとあります。


渡し場の奥に見える川。

現在はもちろん、渡しはありません。
さてどうするかと言うと、どうしても旧道を歩きたい私は江戸の頃、船酔いなどで船が苦手な人の使っていたという「佐屋街道」を歩くことにしました。
結局佐屋街道も最終的には渡しを使うことになるのですが、それはひとまず置いておいて、佐屋街道へと向かうべく、先ほどの道標付近まで、戻ります。佐屋街道は道標から国道19号を超え、熱田神宮脇を歩いていきます。

と、ここで浮世絵の対比を。
東海道53次宮宿、浮世絵はこちら


熱田神宮の鳥居が見えます。
現在の様子がこちら


浮世絵の鳥居は神宮正面の鳥居かもしれませんが、正面の鳥居が人が多く、人の少ない方の鳥居を載せてしまいました。浮世絵はどの鳥居を描いたものかは不明ですがご容赦を。

さて、神宮を右手側にみて国道19号沿いを歩いていきます。
信号、金山新橋南の角に道標があります。


道標を左手に折れてひたすら道なりに進みます。
途中途中にちゃん道標や目印になるものがあるので迷いません


中川運河を越えた先、名鉄線烏森駅手前に烏森の松並木跡があり、昔は立場(休息出来る場所)だった様子。現在は松が2本のみ植樹されています。


まだ時間はお昼前でさほどおなかは空いてはいませんでしたが、この先食べられるところも無さそうな気がしたのでこの先の食堂できしめんを食べました。


名古屋方面にくるとやはりきしめんは食べたくなりますね。

お腹も膨れて、また歩き始めます。道は迷うことなくひたすら道なりにまっすぐ進むだけ。
庄内川の所でいったん畑江通りに入り、万場大橋を越え旧道に戻ります。
昔はこちらも渡しで舟を使っていました。
この先少し旧道が入り組んでおり少し、迷いました。 畑江通りに向かうよう歩き、万場の信号で通りを越え右手に浅間神社、砂子橋から新川を越え十二所神社の鳥居脇を通ります。


後はまた道なりに進んでいき、弧街道東の信号を左折すると八剱社。

またひたすらずーっと道なりに歩き、七宝焼原産地道標で少し休憩。


文字にすると簡単ですが、すでにこのあたりでは腰がだいぶ痛くてちょっとしんどかったです。(1年位前にぎっくり腰をやってしまい、そこからどうにも体が以前のようには動かず、ランニングも出来なくなってしまい、すぐ腰に負担がかかるように…)
この後もただひたすら歩き、神守の一里塚。


ちなみにこの一里塚は唯一、佐屋街道で現存する塚になります。
さらに進むと宿場跡。


その先日光橋より日光川を越えて、また道なりに歩き目印も途中にあるので時おり写真を撮りつつ歩きます。


津島神社の常夜灯(上の写真)の先分岐を左折、道なりに行き、名鉄尾西線を右手側にかすかに感じつつ、明通寺先交差点を右折、踏切を越え佐屋街道碑があります


このあたりは畑が多く、西日で金色に輝く稲穂がすごく綺麗でした。

ここから先は須依の交差点を右折すると、佐屋舟場道標にたどり着きます。ここで佐屋街道の終点。


昔も結局はこの先舟に乗るしか方法は無く、ただ七里乗るのとこの先三里乗るのとでは大きく違ったのだと思います。今と違い、舟にしても安全とはいいがたいものだったかもしれません。 私もここをいったん終点とし、舟には乗れませんが鉄道に乗り桑名へと渡ります。
ですが、もう日も落ちてきてあたりが暗くなり始めてきたので、今日はここで宿へ向かいます。 鉄道に乗り桑名駅へ。桑名駅前のビジネスホテルを取っていたので、チェックイン前に地元の飲み屋さんで焼き蛤とイカチリなんかを食べ、ホテルで休む事にしました。

***

さて翌朝、ホテルから桑名の七里の渡し場跡へ向かいます。
舟には乗らなかったけれど、川沿いを歩く。


渡しに到着。

さて、浮世絵の登場。東海道53次桑名、浮世絵はこちら。

現在の様子がこちら。

ここから、また西へと歩き始めたんだなぁと。でも船酔いでしんどい人もいただろうなと思いました。
この先を進んでいくと、春日神社前に青銅の鳥居があります。
桑名は鋳物業の町として栄えた為、青銅の鳥居。

このあたりにはちらほら史跡があるので、足を止めつつ歩きます。


          

先に進むと、左手側に桑名城の堀があり歴史を語る公園が隣接しています。



この先も全く迷わず、ところどころに道標があるので、道標を頼りに進んでいきます。
道が分岐するところにはだいたい道標がありました。



この先入り組みつつ進むため詳細は割愛して写真で。




火の見やぐらは国道1号を越えた先にある矢立場跡。旧道は南へと進みます。

江場松原跡。このあたりは昔は松原となっており、鈴鹿の山も綺麗に見えていたそうな。
現在は展望は全くありません。

員弁川手前に常夜灯。このあたりの川は鈴鹿山からの水脈なのかとても水が綺麗でした。


ここからいったん、道は旧道から外れて町屋橋を越えてからまた旧道へと戻ります。


とちゅう力石をいくつか見かけました。

旅の途中で力石で力比べしたら疲れないのかな?と思いつつ、進む。


いくつか川を渡りますが、水がとても綺麗なのです。

こちらの一里塚で江戸日本橋から98里目!(392キロ)歩いたなぁ…と。

途中、常夜灯もあります。


途中また力石! このあたりは力じまんな人が多かったのか…。


かわらずの松、こちらの松の木は樹齢約200年。

立派な松でした。ちなみにかわらず、と言うのは変わらないということでは無く地名の「川原津」からとったものだそうです。

やがて国道1号と交わりつつ、また平行しつつ旧道は続きます。
海蔵川の手前に一里塚跡も。


ここまでくると四日市宿も目と鼻の先。


三滝川を越えた先がかつての宿場町でした。
かつての本陣、問屋場あとは現在では全く姿をしのぶことは出来ず、現在では建具屋さんや医院になっているようでしたが、普通に現代の生活圏の中で写真も取れず、かつて賑わいを見せたであろう宿場町を足を止めず通り過ぎました。


かつての本陣があった場所を過ぎたあたりに、道標が鎮座しております。

本来の流れですとここで、浮世絵と現代の対比を載せるのですが、なんと足を止めず歩いた為、写真を撮り忘れました… なので次回の東海道53次は四日市宿の現在の様子を撮るところから始めようと思います。

***

この日は名古屋に宿をとっており、お昼ごはんもまだでしたので四日市駅から名古屋に戻り、ひつまぶしを食べました


名古屋泊の後は、家で杏が待っているのでどこにも寄らず、すぐさま東京へ。

次回の東海道53次旅は12月頃の予定です。

まだまだ続く。