2012年12月19日水曜日

パンとの関係。


パン。

小麦粉などに イースト菌や水 塩などを加え 発酵させて 焼いたもの。

鈴木さんはパンと深い関係がある。


と書くとまあ 大げさなのですが、鈴木さんが一番最初に働いた会社はパン屋だ。

パンにはかなり 助けられてきた。

学生時代 物凄く自堕落な生活をしていた鈴木さんを、朝は4時台には起床し、6時には働く生活に変え、そもそも 働くということ、働いて得たお金で自分で生活して行くことを教えたのもパンだった。

また 極貧時代を救ってくれたのも、パンだ。 鈴木さんの若かりし頃を支えていたのは「パン」といっても過言ではない。

鈴木さんの極貧時代はそれは結構な貧乏だった。

まず 一日で使えるお金は100円ほどだ。
もちろんその頃も一人暮らしをしていた。

自分の家には諸事情で 冷蔵庫もTVもレンジも無かった。
あったのは備え付けのエアコンとソファベット、コンポのみ。

ジュースなんて贅沢すぎて買えず、水道水はあまり美味しくないので、いったん沸かして、冷ましてから飲んでいた。
道をあるいてる小学生が「コーラ」など飲んでいるのをみると思わず「ごめん、一口ちょうだい」と言いたくなるほどだった。

当時の食生活を支えていたのは「パンの耳」だ。
自分の職場のパン屋さんからもらってくるのである。

店長も、さほど嫌がらず パンの耳をほぼ毎日くれた。

店長の機嫌の良い時は「おい、鈴木 今日のパンの耳は ちょっと太めにスライスしといてやったぞ」なんて言って用意してくれるのだ。 ありがたい。

1斤袋にパンの耳を入れて持って帰る。
おうちで、こっそり職場から失敬してきた マーガリンを塗って、たまには塩をかけたりして食べていた。 ジャムなんてもちろん買えない。

それでもパンの耳は鈴木さんにとっては大事な主食だった。

この極貧生活はおよそ半年ほど続くのだが、あまり細かく書くと目頭が熱くなってしまうので、この極貧生活の話はまた別の機会に。

***

はたから見ると「パン屋さん」いうのは なんだか素敵な職に見える場合もあるようで、鈴木さんの働いていたパン屋さんにもそういったものを求めてアルバイトの面接に来る人も少なくはなかった。

でも実際は朝は早く、冬なんてまだ星が瞬いている頃 家をでて、凍るような空気の中、店までいき窯に電源を入れるのだ。
夏は夏で窯があるので厨房の室温はかなり高く、大量の汗をかきながらパンを焼く。
いくら水分を補給してもあとから汗ですべて出てしまう。

パン屋さんで働いていた頃は睡眠時間は短く、肉体労働の為 体重もかなり軽く、
おそらく標準体重より15キロほど軽かった。
それほどパン屋は過酷だった。

鈴木さんがパン屋で働こうと思ったのは、「会社で寮を用意してくれる」 これだけが理由だ。あえてもうひとつ付け加えるとしたら「焼き立てのパンを食べれるだろうから」だけである。そんな理由で入社した為、仕事もより一層ハードに感じた。

そんなハードだったパン屋も気がついたら何年も働いていて、最後のほうは店舗を1店任されて 店長までしていた。

たくさんの事を教えてくれたパン屋。
鈴木さんの生活を支えてくれた パンたち。

今はもう事務職のOLをしているので、厨房に立つことは無いが、朝 通勤時 駅前のパン屋の厨房から漂ってくる 焼き立てのパンのにおいを嗅ぐと、今でも胸がきゅーんとする。


2 件のコメント:

  1. やなちゃん2012年12月23日 0:47

    パン屋さんで働いていたって事はパンを作るのが上手なんですね!
    しかも、店長にまでなったなんて。
    これからは鈴木さんの事を店長と呼ばさせてもらいます!

    パン屋さんって確かに素敵な職業に思います。
    美味しい物をお客さんに食べていただいて喜んでもらえるのですから。

    一日100円の生活なら今の鈴木さんなら山菜を採ったり、魚を捕ったりと自給自足の生活をしそうですよね(笑)

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    1. やなちゃんさん
      店長って是非呼んでください 笑。
      サバイバルだと どうでしょう。魚とかとれちゃったりしますかねー??? 一度やってみたいですw

      今となってはもうあんなに貧乏は出来ないですが、良い経験をしました^^

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