東海道53次ノツヅキ
~川崎宿から神奈川宿をへて保土ヶ谷宿~
今月も「東海道を歩く」日がやってまいりました
前回のお話はこちら
朝6時に起床して、6:30には出発しようと思ってたのに、ついつい愛犬さくぽんと遊んでしまい7時前に出発。
余談ですが、私は身支度がとても早いです。普段の仕事のある日もお弁当を作っている時間も含め30分程で支度が終わります。
普段もノーメークなので洗顔と着替えだけでOKなのです。
さて前回は川崎宿まで歩いたので、今回は川崎宿まで電車で行きスタートとなります。
電車にゆられ京急川崎駅へ。
朝食を採ってこなかったのでお腹が空いています。駅に着いてすぐ朝ごはんを食べることにしました。
あたりをキョロキョロ見渡しつつ、旧東海道へ歩きます。
ふと視線の先にモスバーガーが見えました。「朝モスも良いな・・・」とすぐ入店。
今日は気温が朝16度程だったため、肌寒く 羽織るもののチョイスを間違えてきたのでちょっと後悔していました。暖かいコーヒーはそのおかげか ほっと一息。
お腹がいっぱいになると、不思議なもので体感温度もあがります。
今日もガイドブック兼地図を片手に出立します。
時刻は9:00。起床が6時だったのにもう3時間も経過しているなんて。
旧東海道に戻り歩きはじめます。
***
商店街を抜けて、道のあちらこちらに案内板があります
かつて宿場町だった町4つ(久根崎、新宿、砂子、小土呂)を抜けて行くのです。
当時の面影はなくとも案内板を見るとなるほどと、当時の様子がわかります。
宿場の最後の町 小土呂を抜けると芭蕉句碑があります
「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」
元禄6年5月、江戸から上方への旅で門生達との別れの句、関東での最後に詠んだ句で同年10月に芭蕉は大阪で亡くなりました。
芭蕉は実は全然知識が無く、「奥の細道の人」くらいしか知らないので、詳しい方だと芭蕉の旅路だとか色々思いめぐらせる事が出来るんだろうなぁ と少しうらやましく思いました。
その先には京急八丁畷駅。線路をまたぎ、左手を歩きます。
かつてこのあたりは畑が多く、畑の真ん中に東海道が伸びていたようです。
更に歩き京急鶴見市場駅付近に差し掛かる頃に市場一里塚があります
東海道を歩いていると「一里塚」と呼ばれるものを多く目にします
なんだろう一里塚って?って思っていたら案内板に書いてありました。
「江戸日本橋より一里ごと(約4㌔)に人馬の休息の為の目安に設けた塚」だそうです。 知らないで歩いていました。
なるほど と思い、そうだ 気になった事や一口メモみたいなものをガイドブックに書き込んで行こう。と思い立ち、市場一里塚先にあるコンビニでボールペンを購入。
早速ガイドブックの余白に「一里塚」の意味を書き込みました。
また一里塚先にある、ノスタルジックな銭湯を発見したので、併せてガイドブックに「寿湯」と書き込みもしておきました。(営業時間外で入湯出来ず残念)
ほどなくして、鶴見川を渡る橋があります
あいにくお天気は曇り空。降水確率はかなり低いので降りはしないだろう、と思いながらも重い雲にすこし不安になります(今日も傘を持参していません)
川を渡ると左側に「鶴見橋関門旧蹟の碑」があります。
横浜開港以来、外国人に危害を加えたりせぬよう多くの関所が設けられ取り締まりを厳しくしていたそうで、記念碑は明治に入って(明治15年)に建てられたもの。
確か学校で「生麦事件」だとか習ったはずなんですが、当時はあまり歴史に興味がなく、授業での事は全く覚えていません。
大人になってから興味が出てくる場合もあるので、夢の中で良いので一日1時間くらい過去戻って授業を受けたいです。
さてこの先旧東海道を道なりに行けば良いのですが、道なりと言っても 道はただまっすぐ伸びている訳ではなく 多少まがりくねったりしているのです。
地図を片手に歩いているとはいえど、極度の方向音痴な私なので「地図を持っている自分」を全く信用しておりません。悲しい事に。
まっすぐ歩いていたら、高速道路横羽田線に出てしまいました。
「あれ?これ違くない??」と気が付き、地図を見ても何処で間違えたのか分かりません。やっぱり「地図を持ってる自分」を信用できないのです。
間違えた時は来た道を戻ろう、とトボトボ歩きます。
何度も地図を見て あ。この小さい川は渡っちゃだめなんだ と分かる場所まで戻り、ようやく旧東海道を見つけ、また歩きました。
結構、ロスしちゃったかな?と時計を見るとまだ10時過ぎだったので、そもそもロスも何もなく、歩きたいだけなんだし。と気を取り直し 歩きます。
生麦駅方面に歩くのですが、少し街なみに昔の街道の名残があるようでした。
とても魚屋さんが多く、魚屋さんを何軒見ただろう… 6軒程あったように思います。
昔はこのあたりは魚河岸があったようなので、それも名残なのかもしれません。
旧東海道と国道15号の合わさる少し手前に生麦事件の碑があります
英国人を薩摩藩士が殺傷してしまった事件です(ものすごく端折ってます)
ここから先はひたすら国道15号を歩きます。
道なりにある良泉寺。
このあたりには数多くのお寺や神社があります。
かつて開港当時このあたりの多くの寺院は外国の宿舎として利用されていたそうな。お寺だとお食事は精進料理だと思うのですが、当時外国の方達が泊まられていた時はどんな食事だったのでしょうか・・・?精進料理は食べないよね?きっと・・・とまた調べたくなりましたが、とりあえず後で調べる事にして歩きます。
なのですが、このあたりの旧東海道が良くわからないのです。
ガイドブックにも「不分明」と書かれていました。
ガイドブックが分からないのに私が分かるわけないよね と思いつつ、とりあえずガイドブックに載ってる道を歩きます(途中でまた少し迷いました)
途中の学校の壁画に東海道の街並みが書かれていました。
芭蕉の句碑のある能満寺(お寺入口のススキのふさふさとした穂が綺麗でした。墓地があるので写真は撮らず)
その隣にある神明宮を参拝し、さらに先を歩き金蔵院、熊野神社へと歩きます
さらっと書いてますが、本当に道が入り組んでいて歩きながら「わっかんないなぁ・・・」と本を片手に独り言をつぶやきました。
熊野神社には樹齢400年の御神木があります
そっと手を合わせて たくさん落ちている銀杏を見て秋の訪れを感じました。
その先には「高札場」が復元されている場所があります
高札場とは当時決まった決まりごとなどが書いてある場所で、この高札を見て幕府や領主の決めた決まり事を確認していたと思うのですが、どの位の人々が高札を読んだんでしょうか?ほとんど地域に根付いていて 高札を見ていない人は居ない位浸透していたんでしょうか・・? このように、東海道を歩いていると数々の疑問が湧き、知らない事に気が付くと調べてみたくなる私は帰宅してから、数々の”課題”を消化していくのも、また東海道を歩く上での楽しみなのかも知れません。
***
道なりに進んで行くと成仏時があり こちらは宣教医師ヘボン博士の宿舎だったお寺。ヘボン博士の「ヘボン」はローマ字のヘボン式のヘボン。日本で初めての和英辞典を完成させた人です。(すごい!)
滝ノ橋を渡り、青木橋を越え ようやく良く分からなかった旧東海道が分かるようになります。
青木橋の先、坂を登ると右手側に大綱金毘羅神社。
以前はお社の前に一里塚があったそうです。
そしてこのあたりが歌川広重が描いた東海道53次の宿場町「神奈川」となります
現代のようすはこちら
浮世絵ではもう少し坂の下らへんを描いていたと思いますが、分かりずらかったので、少し坂の先で写真を撮りました。
さて、時間は13時頃、実は「神奈川宿」はどのあたりから何処までなのかが、いまいちわかりませんでした。数多くのお寺も宿場の中に入っていたと思います。
でも、とりあえず神奈川宿についているのでお昼をとる事にしました。
このあたりには割烹などちらほらあるのですが、お財布事情があまり安心できなかったので、もう少し手ごろな場所を探します。
和食屋さんを見つけたので、入って せっかく昔は海が広がっていたんだものと言う事で海鮮丼を注文しました。
ご飯の硬さがとてもいい塩梅ですごく美味しかったです。
このあたりは横浜駅も遠くない場所になります。
食事をとり終え、また歩きはじめます。今日は保土ヶ谷宿を終点にしようと決めています。
先程の神社のある坂を上りきり、少し下ると「上台橋」があり
ここが、川崎宿のはずれになります。
更に先に進み、すこしカーブしつつも道なりに行き(途中また間違えました)
浅間神社の脇を抜け、更に歩くと松原商店街があります。
昔は海沿いに松並木があった事からこの地域は松原と名がついているそう。
この松原商店街が非常に活気があって、毎日ここで買い物したら楽しいだろうなぁと思いました。お野菜も安いし、お惣菜屋さんもありました。
その先には橘樹神社があり、直進し橋を渡ると相模鉄道 天王寺駅。
駅を抜けると小さな公園があり、旧帷子橋跡があります。
こちらは浮世絵の「保土ヶ谷宿」。
浮世絵の中では帷子川、川に架かる橋、帷子橋が描かれていますが、残念ながら今はこちらの場所は無く、現在では天王寺駅先の小さな公園に橋の模型があります。写真が少し斜めになってしまいました。
その先を歩いて行くと金沢横町道標があります
更に先を行くと「保土ヶ谷宿本陣跡」もあるようですが、今日はいったんここまでで、保土ヶ谷宿到着~。として、さて お茶でもしようかと 歩いてきた商店街を少し戻り、ドッグカフェがあったので 犬は連れていませんが、カフェで休憩。
次回は保土ヶ谷宿スタートとなります。
本日の行程は川崎宿から神奈川宿まで9.7㌔、神奈川宿から保土ヶ谷宿まで4.9㌔の計14.6㌔の旅程、距離を歩きました。
歩いた距離も多くなかったので、全然疲れなかったです。
今日の一日をつらつらと書いていますが、東海道の記事はとても長文になりますね。
読んでくださってる方は疲れちゃうんじゃないかと思うのですが、後から自分で読み返してみると そうそう、この道をあるいて、あの場所に出て とか分かると自分の中では楽しく、つい歩いた行程をつらつら書いてしまいます。
このままのペースで行くと箱根に差し掛かる頃は雪なのではないか…と懸念を抱きつつも、第2回目の東海道53次の旅路は終了なのであります。
次はなるべく早く出立しようと帰りの電車で思うのでした。
東海道53次、まだまだ続く。
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