2016年7月31日日曜日

東海道53次ノツヅキ⑩

東海道53次のツヅキ⑩

~江尻宿から府中宿をへて丸子宿まで~


久しぶりの東海道、歩いてきました。
さくぽんの病気の事もあって、実に4ヵ月ぶりとなる東海道53次の旅。

朝はやめの時間に起床して、いつものごとく東京駅から東海道線で熱海経由、清水まで。
鈍行で行ったので3時間ちょっとかかりましたが、今回は青春18切符を買ったので、お安く行けます。(青春18きっぷは初めて買いました~ のんびり旅にはとても良いですね)


時刻は10時過ぎ。朝ご飯を食べようと、みなと口の改札へ。 さくらももこ の故郷とあって、壁画がさくらももこ作。

みなと口から少し歩くと漁港があります。
その中の飲食店をまとめた建物があり、海鮮店がたくさんあって迷います。展示されてる見本がどれもこれも美味しそうで。 時間が早いので、まだ空いている方だったんですが(開店はおそらく10時)それでも沢山の人でにぎわっていました。

とりあえず、もう入っちゃおうと お店を決めて注文。
日替わりをオーダー。


海鮮どーん!
小鉢とお味噌汁、マグロステーキ付きで1100円。

まぐろステーキ、めちゃ美味しかったです。そしてしらすが美味!あっという間に完食しました。

腹ごなしも済んで、いよいよ東海道を歩きます。

・・・と、その前に江尻宿の東海道53次の浮世絵のご紹介を。


こちらがその浮世絵でございます。

この浮世絵は久能山より清水港を描いたものになります。

ですが、久能山へは行かないので 朝ごはんを食べた後清水の港を現在の様子として写してきました。


こちらは現在の様子。

浮世絵の描いた位置からするとだいぶ東よりなのですが、遠くに山も見えました。

***

さて、前回の終点まで歩きます。


清水の港から15~20分といったところでしょうか。

以前の宿場は現在ではこちらの商店街になっています。

関東も梅雨があけて数日、もの凄い日差し。人っ子一人歩いてはおりません。
熱中症対策として、帽子の装着はもちろんの事(日傘も持てば良かったとのちに後悔)

鞄にはペットボトル、塩分補給の為、干し梅を持って歩きます。

商店街を抜けた先がこちらになります


奥に森のようになっている場所があるのがおわかりでしょうか。 こちらは以前江尻城があった場所になります。

商店街を抜けた左手がわに稚児橋があり、この橋を渡ります。


稚児橋にかっぱの銅像があります。

この橋は江戸時代初期に徳川家康の命によりかけられた橋で、橋がかけたれた最初の日に川の中からお河童頭の稚児があらわれて、府中宿方面へ歩いて行ったと伝えられて稚児橋の呼び名がついたそうな。

炎天下の中、誰もいない稚児橋を渡り、奥へと進みます。 この先に追分羊羹の老舗があるらしく楽しみにしていたんですが、あまりにも暑くてぼーっとしながら歩いていたので、見つけられないまま(おそらくお店の前をそのまま通り過ぎて)先へ歩いてしまいました。

先にすすむと左手側に「都田吉兵衛の供養塔」がありました。清水の次郎長の子分、森の石松を殺した男がかたき討ちにあったものを弔う塔。 (弔塔なので写真は撮りませんでした)

供養塔を過ぎて、大沢川にかかる金谷橋を渡ります


道はやがて東海道本線の線路と合流し、東海道線を横切り西へと歩きます。

途中東海道線の踏切を渡る時、線路の奥にもやもやと蜃気楼が見えました。

更に進むと草薙一里塚跡があります


あまりにも日差しが照りすぎていて、追加の水分を買いにコンビニへ避難しました。

江尻の宿場からここまでで、アクエリアスは1本消費していましたが、更にハーブの入ったお茶を購入。 梅をかじりつつ、お茶を飲んで出発します。

その先には草薙神社大鳥居が、道の途中にどーんとあります



以前は大鳥居よりも少し手前に、草薙神社へと向かう参道があったそうで、現在では鳥居よりも手前にある市立第七中学校らへんに大名に茶をふるまったお茶小屋があったとか。

確かに中学校のそばの道を見ると奥に向かって坂になってました。江戸の頃は杉並木があったそうで、今でも字名として草薙杉道として名のみ残っているそうです。

地名や、その地に多く住まわれている方の名など 確かに昔からの歴史があって面白いなぁと思います。私の御先祖様もどこで何をしていた方たちだったんだろう・・・ もっと祖母に話を聞いていたら良かった。

***

さて、鳥居を過ぎ西へと歩いて行くと東名高速道路の高架下へと出ます。

高架下が良い日よけとなっていたので、ここでしばし休憩。

日焼けしたく無かったので、長袖の麻のシャツとデニムのショートパンツにレギンスをはいて露出の無い服を選びましたが、麦わらのハットをかぶっていたんですが つばが広く無かったので、顔が焼けている気がして、日焼け止めは塗っていましたが ほほと 鼻が火照ってる感じがしました。

さらにこの先、だいぶ道を間違えつつ歩くのですが・・・


旧道をゆるゆると、また歩き始めます。


途中で、鶏農家さんの卵の直売所があって、名古屋コーチンの卵とかも安く売っていて、買うかどうしようか、荷物になるけど欲しいなぁ・・と迷ったんですが、この暑さだと帰る頃にはゆでたまごになっているかもしれない・・と本気で思って断念しました。

東海道本線をまた横断する手前に東海道記念碑があります。




東海道線の下のトンネルを横断し、道なりに歩いて行くと、左手側に一里塚跡。




静岡鉄道の古庄駅との中間地点に国道1号があり、しばらく歩いたのち、逸れて静岡鉄道と並行するように道沿いを行き、こんどはまた東海道本線を横断。



旧道を歩きたいので、線路を何度も越えたり戻ったりしつつ歩きます。

東海道線を横断する時、左には東静岡駅。ぐるっと迂回するような形で、今度はまた東海道線を横断して静岡鉄道の春日町駅付近まで戻ります。


このあたりより府中宿は始まります。

東見附から西見附まで3,600m。府中宿は大きかったんですね。

ここから、旧道は右手に逸れていくのですが、間違えて国道1号と並行して歩いてしまって、道を間違えました。 あ、間違えた!と気がついた時にはだいぶ歩いてしまった後だったので、戻るのはあきらめ、途中から旧東海道へまた合流。



東側より、下横田町、院内町、上横田町、鋳物師町、誉田町、伝馬町とつづく府中宿ですが、伝馬町から合流した為、かなりの町を飛ばしてしまい残念・・・・・悔やまれます。
ですが更に、新谷町、江川町、呉服町、札の辻、七間町、人宿町、梅屋町、新通、川越町までと府中宿は続きます。

1つ1つの町は小さいですが、かつてあった駿府城の城下町とあり、曲がりくねる街道となっています。

途中、本陣跡や脇本陣跡も標示があります


なのですが、この日は安倍川の花火大会があるらしく、ゆかたを着た大勢の人でかなりのにぎわい!

ゆっくり写真を撮りたくても撮れない状況でした。。
沢山の史跡や解説もあり、さすがは徳川家康だなぁ・・現代でも引き継がれているよ・・と思いつつ、ゆっくりとかつての城下町を歩きました。

しかし、あれですね ポケモンGOが日本でもリリースされてからスマホを持って街中に向けていると「あ、あの人ポケモンやってる!」といった目で見られます。
残念ながら私はゲームは全く興味が無いので、スマホで追ってるのはポケモンでは無く、史跡です笑。 バーチャルよりも、人々の残した歴史だとか、生活の跡にとても興味があるのです。

沢山の可愛い浴衣を着た女の子たちの群れに、汗だくで火照った顔で本(ガイドブックと地図が一緒になった東海道の本)とペンを片手にうろうろしてる私。
その状態があまりにシュールすぎて時折吹き出しそうになります。


それでも駿府城の石垣を見ると萌えます。

大きいお城だったんだなぁ・・・



町のいたる所にその痕跡を伺えます。 因みに町奉行所のあった場所の前は現在では静岡県庁があります。


各町々もわかるように跡として残っています。

あまりに人も多く、そして安倍川を渡った先に丸子宿があるので、向かう方向も同じでどうしよう・・・と思いつつも、今日はどうしても丸子宿へと行っておきたかったので 更に歩きます。

駿府公園の先の札の辻跡より左折し、七間町を抜けます。


ガイドブックを見ると七間町の先、サッカー用品店の角を右折と記載があって、「ちょっとまって サッカー用品店が無くなってたら、どこを曲がるかわからないじゃない」と不安に思ってたんですが、サッカー用品店はありました。

ほっとして、右折をして 更に本を見るとそのさき、写真店の角を左折、と記載があり「今もあるのかなぁ・・写真店・・・」と思っていたら、案の定今は無くて左折する場所を少し行きすぎてまた戻りました。地図と見比べてちょっと行きすぎたかな と 早く気がついて良かったです。

左折した先は「新通」でその先に行くと安倍川へと続きます。


安倍川の手前には道標もありますが、花火大会ですから沢山の出店の数。

うわ~ 何か食べようか と少し思ったのですが、全然おなかがすいていません。
朝10時過ぎに丼を食べたきり何も食べてないのに、炎天下の中長時間歩いているせいか、ぜんぜんおなかが空かないのです。

安倍川を渡る手前にあべかわ餅の老舗のお店があるので、1箱買いました。
府中宿の「食」はあべかわ餅。

さて、東海道53次「府中」の浮世絵はこちら。


駿河湾へと続く安倍川を渡る旅人の様子が描かれています。

現在の様子がこちら。


花火大会の人の多さで川岸まで行くのを断念した写真になりましたが、奥には安倍川が流れています。(陸橋のところですね)

橋を渡るときに安倍川を撮ってみました。



とても綺麗な川。
昔は人足で渡ったんですね。

橋を越えると 間の宿「手越」。しばらく道なりに行き、国道1号と重なった先、佐渡交差点で左へ。
更に街道を行くと、本陣跡、お七里役所跡があります


こちらは見附跡。





こちらは本陣跡。

七里役所は前回の東海道ノツヅキでも書きましたが情報伝達の為七里ごとに設けた役所です。

さて、丸子宿到着ー!!

今回はなぜ丸子宿まで歩いたかというと、この先に丸子宿名物のととろめし屋さんがあるのですが、以前 沼津で一緒に東海道を歩いた友人が「ととろ飯を食べて宇津の峠へ行きたいから一緒に行く」と言っていて 府中宿からは一緒に歩いてくれないだろうなぁ・・・と思って とりあえず、丸子宿まで先に歩いたのでした。 宇津の峠はさらにこの先になります。

名物のととろ飯屋さんはこちらです



こちらは東海道53次の浮世絵「丸子宿」でも描かれています



こちらがその浮世絵。

次回行くのは9月最初になりますが、この先の旅路も楽しみ。

とろろ飯、先に食べてみようかな と時計を見ると18時過ぎ。お店は19時閉店で今日は花火大会だし、早く店仕舞にしたいかも・・・と思って 食べるのは断念しました。

***

帰りはバスで静岡駅まで出て、そこから熱海へ。 時間がだいぶ遅かったので 熱海から新幹線で東京へと帰りました。


ちなみに 新幹線の車内で先ほど買った あべかわ餅を少し食べて帰ってきました。


開けるとこんな感じです


疲れてたのもあるし、甘いもの大好きなので美味しかったです。

今回は江尻宿~府中10.5キロ、府中~丸子宿5,6キロだったので16,1キロ歩きました。

歩くより走る方が楽なのと夕方でだいぶ日が落ちたのもあって、丸子宿に向かう間の道は走ったりしました。

今朝、さっそく足が筋肉痛です。。

また日焼け対策はしたものの、汗で日焼け止めも落ちちゃったので 日に焼けて赤くなった鼻の頭が悲しいですが、楽しかったので良しとします。




東海道53次の旅、まだまだ 続く。


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