2016年10月17日月曜日

東海道53次ノツヅキ⑫

東海道ノツヅキ⑫

岡部宿から藤枝宿~島田宿をへて金谷宿まで

前回のお話はこちら

さて 行ってきました東海道53次のツヅキ。前回は9月上旬に行ったのでひと月半ぶりです。

東海道線の最寄り駅も静岡を越えてだいぶ移動に時間がかかる為、今回は行き帰りを新幹線で。
なんとか安く行けないだろうか・・・ と行きは「ぷらっとごだま」を利用。
帰りは時間が読めないため、ぷらっとこだまは使わず、その場で切符を買う事に。

近所のJTBであらかじめぷらっとこだまを申し込み、東京-静岡で4600円。飲み物もつくのでおトクです。

***

新幹線の出発時刻が朝6:30頃だったので 前日残業をして帰宅が遅かったあげくあまり眠れず2時間半だけ寝て出発。
家にあったバケットにハムときゅうりを挟んで作った簡単サンドイッチを2つ持って出かけます。

結構早い時間に東京駅に着いたので待合室でサンドイッチとコーヒーを飲む。
新幹線に乗車すると爆睡。

はっ!と起きると窓の外には富士山が見えていて乗り過ごして無いかあわてましたが大丈夫でした。

静岡駅で下車して、藤枝駅行きのバスに乗車 前回の終着点「岡部宿柏屋前」で下車


久しぶりに歩くので、バス停で軽く準備運動。長い距離を歩くと姿勢もあるとは思いますが 腰、股関節が痛くなってきます。あと前太もも。 股関節や足首、ふくらはぎ 念入りに伸ばしてから歩き始めます。

柏屋前の少し先より旧道は左道へと逸れますが、旧道の標示があるので迷わず歩けます。


昔の街道の名残を残した道、ふと見ると小野小町の姿見の橋。


この姿見の橋は、歌人でしかも美形の小野小町が、この岡部宿に泊ったそうなんですが、この橋から夕日に照らされた美しい風景に見惚れていてふと橋のかかる水面をのぞくと くだびれた自分の姿を見て「若く美しい過去の自分」を思い過ぎ去りし過去を悲しんだ事からこの名がついたそうな。

誰でも年を重ねて老いていきますが、確かに若かりし頃の自分を思うとせつなくはあります。
体型も見た目も変わるし。

もっともっと体が元気で寝不足でも全然元気だったあの頃、こんな風に旅が出来てたら良かったなぁ・・とふと思いましたが、健康でいることが一番大事なので 若い時も良いけど、今も良いよね とふっと一息ついて また歩き始めます。

少し先に問屋場跡。



次の藤枝宿まではほぼ国道1号線上を進む感じなのですが、途中に何もない場所なのでここから少し走る事に。

走れるようにランニングシューズを履いてきました。

旧道を進み、葉梨川を越える。

葉梨川を越えて右手へ進み、しばらく行くと須賀神社。


須賀神社で本日最初の参拝をさせて頂きました。

須賀神社脇には御神木の大クスが。


凄く大きくて ほわー・・・と口をあんぐりあけたまま見てしまいました。

ここまで来る間に道で出会う方に目が合うと会釈をしたり「おはようございます」と挨拶をしていましたが 出会うみなさんが本当にやさしい感じで誰もいぶかしい目で見たりする事無く、にっこり挨拶をしてくださってとても嬉しい。

ふと近所のおじさまに「東海道歩いてるの?」と聞かれて「はい。今日は良い天気でよかったです」と答えていると「この先、突き当たりを右だよあっちの奥は八幡様だからね」と教えて頂いて「ありがとうございます」とお礼を言ってまた歩きます。

あまりに日差しが強く、帽子をかぶってこなかった自分に後悔。 どこかに帽子は売ってないだろうか・・・と 旧道と1号線の交差している場所にホームセンターがあったので入ってみる事に。

帽子を探してたんだけどヘルメットしか無く(笑) あっても大きな麦わら帽子だったのであきらめてホームセンターを後にします。

ここからが微妙に道がわかりづらかったのですが、一応看板的なものはありました。


スマホのGPSと手元の地図を見比べつつ 歩きまして、左車神社へと道は続いていきます。


小さな神社ですが、鎌倉時代に宗尊親王の車(牛車とかだと思います)の左輪が壊れ、壊れた車輪を埋めた場所にこの神社がまつられたそうです。

神社の銀杏は実を落としていました。


更に先を行き道は商店街へと続きます




この商店街があった場所にかつては藤枝宿があり、現在でもお茶屋さんや染物屋、ダルマ屋さんなどかつての町を思わせるお店が今なお続いています。

ちょこちょこと常夜灯も。



街道沿いにある大慶寺には日蓮上人が植えたとされる松があります。





大きくとても立派な松の木。見ていて圧倒されます。

この藤沢宿には色々と史跡があるのですが、なぜだかあまり見つけられず 「見つけられないなぁ・・」ぼーっと歩いてるからかなぁ と思いつつ、足元を見やるとタイルに本陣跡。


もしかしてみんなタイルに書かれてるんだろうか・・・と気になりましたが、先を歩く事に。

さて、歌川広重東海道53次「藤枝」。


問屋場で変え馬の手配でしょうか そんな様子が描かれていますが、なぜか問屋場跡が見つけられずその付近を現在の様子として写してきました。

現在の様子はこちら。


問屋場跡から撮れたら良かったのですが、撮れなかったので・・。なんとなく雰囲気だけでも。

この先には瀬戸川が流れていて橋を渡ります。


このあたりの川は本当に水が綺麗。 このあたりだけでなく、静岡県に入って水のきれいさが本当にわかります。


橋を渡った先には一里塚跡があります。


街道は道なりに続き、途中1号線をまたぎ西へと道は続きます。

途中にイトーヨーカドーを見つけて、「帽子買おう。ヨーカドーになら何かしらあるだろう」と店内に入ると100円ショップがあったので108円で帽子を買いました。
あまり100円ショップって買い物しないのですが、なんでもあるんですね。 帽子まで100円で売ってるとは・・・ 今日1日だけしか使用しない予定なのでちょうど良かったです。

さっそく帽子をかぶって歩きます。

途中にこんな休憩スポットが。



地元の会社の軒先にベンチと立て札。
とてもうれしいです。何気にトイレとか探したりするので。こんなところも、静岡の方はやさしい方が多いんだよね。と嬉しく思うのです。

しばらくベンチに腰掛けさせて頂き、また出発します。


古道と旧東海道の分かれ道、「追分」。

さらに進むと「千貫堤跡」があります


千貫堤とは、大井川の氾濫から田中藩(田中城)を守る為江戸の初期に建てられた堤防で全長は500メートルを越え幅32メートル、高さ3.6メートルもの大きなものだったそうで、その堤防にかかった費用が千貫だったことからこの名がついたそうです。

現在ではほとんどその面影は無く、ごく一部のみ現存しています。この跡地の少し入った場所に「千貫堤・瀬戸染飯伝承館」があるので、行ってみる事に。

おじさまが1人いらして、当時の様子など教えて下さいました。

街道で名物だった染飯のレプリカもありました。


ご飯をクチナシで染めた染飯。道中の行動食だったそうです。味自体は無いのでお塩をかけて食べてたとか。

今でも催しがある時は作って売っているそうです。(2つで200円と確か言ってました)

伝承館を後にし、また旧東海道を歩きます。

道はJR東海道本線ほど近くを並行するように続き、東海道らしく松の並木が続いている道を歩きます。


途中に一里塚跡。


また、畑もおおく 金色に見える場所があって「何だろう?」と思っていたら一面 稲穂でした。


一里塚を越えた先には東海道線「六合駅」付近。

道は1号線となり、六合駅よりしばらくした先でまた枝分かれして西へと続き、島田宿へと入ります。



街道沿い、静岡銀行脇に芭蕉の句碑があります


島田宿は大井川の氾濫で宿場が流されたりとしながらも続いていた宿場でかつては本陣3軒、旅籠48軒あったとされる宿場町。


途中、井戸水が飲める場所があったのですが私のおなかはピロリ菌を除菌した為、なんとなく飲まず写真だけパチリ。

島田宿には日本三大奇祭「帯び祭り」で知られる大井神社があります。


大井神社の参道の石垣は、大井川の人足達が日々のお仕事を無事終えると川から石をひとつ運び奉納した石垣。 人足とは川には外部から敵が攻めてこないように安易に橋は架けられて無かった為(橋を架けるのも安易では無いですが)、人や物資を運搬するのに人の手で運ぶ必要がありました。その仕事をしていたのが人足で、神輿のような台座を人足達が担ぎ人を運搬したりしていていて 川の水が多いと 川が渡れないため川留めとなり、旅人達は数日やりすごしたりした日もあったそうです。

ちなみに、川を渡る運賃(人足達への賃金)は水の深さで決まっていて、人足の脇までの水があがっていた時が一番値段が高かったそうで、それを越えると川留めとなったそうです。


大井神社はとても広く、綺麗でした。

結構人が多かったのであまり写真は撮らず、参拝をして御朱印を頂いてきました。


大井神社を後にすると、そういえば昼食を全然食べて無かった事に気が付き、近くにあったお蕎麦屋さんへ。


冷やし天おろし蕎麦を注文。 暑かったので、冷たい御蕎麦がとても美味しい。

藤枝宿の「食」は何も食べなかったので島田宿の「食」は御蕎麦。

蕎麦を食べ終わると いよいよ大井川を越えます。

箱根八里は馬でも越せど越せに越されぬ大井川。

かつての東海道53次は箱根と大井川の川越が一番(?)の難所とされていました。


でも現在は大井川には「大井川橋」が架かっているので数分で渡りきってしまいます。

歌川広重 東海道53次「島田」


大井川を渡る旅人、人足の様子が描かれています。


現在の様子はこちら。

青く澄んだ大井川。 今も昔も変わらないと思いますが 確かにこの川を人間の足だけで渡るのは大変な苦労だったと思います・・・ 水も冷たいし、冬なんてどうしたんだろう・・・

大井川を渡ると東海道はほどなくして金谷宿へと出ます。

ちょっと先に 歌川広重 東海道53次「金谷」。


こちらの浮世絵も同じ大井川ですが、こちらは大井川を渡りきったあとの図。

やっとこさ大井川を渡った先には金谷の宿場町が前方へと見えます

2つの宿場町の様子を大井川を題材に描かれていることからも 大井川を渡ることの大変さを表現しているんだと思います。

現在の様子はこちら。


大井川は何筋にも川が流れていて、最後の場所がここです。

橋を渡りながら、川風に吹かれつつ 昔の人の苦労を思いました。
亡くなった方も多かったのではないだろうか・・・

***

大井川を越えると大井川鉄道の線路を横断し、大井川鉄道・東海道本線「金谷駅」へと旧東海道は進みます。


途中、旧道が合ってるかしら?と不安になりつつも 途中 途中になんとなく史跡があります。


金谷駅の手前 本陣があった場所は現在は佐塚書店があり立て札があります。

その先、地域交流センター前には柏屋本陣跡。


金谷駅ガード下には一里塚があります。


ということで、金谷宿到着!!!

今回の東海道53次は金谷宿が終着点です。

ここから東海道線に乗って2駅先の掛川まで出て、日帰り温泉に入りつつ、露天風呂から掛川城を眺めて 新幹線で家路へと向かいました。

余談ですが、ぷらっとこだまで静岡まで4000円ちょっとでしたが、掛川から東京駅まで自由席で券売機で取ったら7340円でした。


交通費で結構かかるようになってきましたがまだ半分も歩けていないので、まだまだ続く東海道53次ノツヅキ。 あと1年はかかりそうだなぁ。。。なんて思います(出かけるペースが遅いので)

でも歩くとやっぱり楽しい。色んな発見があります。
今回も沢山の地元の方とお話して本当に嬉しかった。

途中で出会ったおばさまはフリーきっぷを使って出かけたりするのが好きだけど、東海道を日帰りで歩き続ける旅もあるのね それは面白いわねと話を聞いて下さり、私の道中事故やけがが無いように心配しつつ、応援してくださったりしました。

同じように東海道を旅している方も数人すれちがったりして、挨拶をしたり 道を相談したりしました。

歩き始めて1年経ちましたが、まだまだこの先の旅路が続く楽しみと約半分終わってしまった なんとなく切ない気持ち。いろんな気持ちをくるくるさせつつ、旅はまだまだ続きます。



帰りの新幹線ではビールと焼き鳥で 一杯やって帰ってきました。

続く。


◆その後のよもやま話◆

今回の旅で出てきた千貫堤。

千貫の費用を使って作ったとされていますが、千貫っていかほど???

気になったので調べてみました。


1貫=一文銭が1000枚。

調べてみると1文は現代だと約12円。ということは1貫約12000円。てことは1000貫で約1200万。

ただ、江戸時代でも最初と最後のほうだと銭の価格もだいぶ変動があるようで、江戸後期のほうが価格は低い様子。

初期と後期で倍くらいちがう話もあるようなので振り幅を考えて約2400万~1000万ってとこでしょうか。

江戸の頃を考えた2400万円て確かに凄くお金をかけて作った堤防だという事がわかりますね。

掛かる費用をそのまま堤防のネーミングとして採用してしまうのもうなずけます。



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