~浜松宿から舞坂宿、新居宿、白須賀宿をへて二川宿まで~
前回のお話はこちら
久しぶりに東海道53次の続きを歩いてきました。 さっそく旅路をUP。
前回は浜松宿までたどり着き、浜松城を見て帰路につきました。 今回も行きは「ぷらっとこだま」を使い東京駅から浜松駅まで。8:30頃浜松駅に到着。
さて、歌川広重 東海道五十三次の浮世絵、「浜松」はこちら。
たき火で暖をとる旅路の一行、浮世絵後方には浜松城が描かれています。
現在では道路も整備され、あぜ道のような道はありません。
前回の終着点となった宿場の先から今回はスタートなので、その地点を現在のようすとして写してきました。
現在のようすはこちら。
朝も早いので車通りも少なかったです。今ではビルが多く建ち見えませんが、写真後方に浜松城が見える塩梅となっております。
さて、今日は沢山歩く予定なので 軽く足を曲げ伸ばしした後 歩き始めます。
本陣跡を背に向け交差点を越え道なりに行き、その先成子交差点を右折、更にその先道が二つへ分かれている場所を左へと旧道はそれていきます。 地図を見たときに曲がるポイントはわかるかなぁ・・と若干不安でしたが、最近旧道がどんな道なのか感覚でわかるようになってきました。
道の幅というか、雰囲気でなんとなくわかります。
なので、道が微妙にわかりづらい場所は自分の感覚で「たぶんこっちかな」と思う方に歩くと、合ってたりするので、迷子(笑)になるのも、ほぼ無くなりました。
さて、二つに分かれた道を左折したあとは東海道線の線路を越えるまでまっすぐに行き、線路を越えた先GSのある大きな交差点を西へと進んで行きます。
途中に二つ御堂があります。
藤原秀衡と愛妾を弔う御堂ですが、昔は妾がいるのが普通で更にこんな風に御堂まで出来るのがすごい。 現在ではすぐ「ゲス不倫」とか言われますもんね。
御堂の少し脇に神社があったので、本日のご挨拶をかねて参拝させて頂き この先の道のりはただひたすら西進なので、少し走る事にしました。
バスを待っている人以外はあまり歩いている人は居ませんでしたが、バスを待っている人の前を通るときは挨拶をするようにしていました。静岡の人はやっぱり良い人が多く、参拝した神社ですれ違った人も、バスを待っている人も私が挨拶をするよりも先に「こんにちわ~」「おはようございます」と声をかけてくれて朝から気持ちの良い挨拶でとてもすがすがしい気持ちで走りました。
ひたすら西へと行きますが、途中にちょこちょこ案内板があります。
こちらは「麦飯長者跡」昔この当たりに居た長者さんは誰彼と言わず、街道を行く人々に湯茶を出し、お腹が空いている人には麦めしを食べさせていたそうで、麦めしをくださる長者様、「麦飯長者」と言われていたそうな。昔からやはり良い人が多かったのかも。とすごく納得。
さらに目印になる「松並木」が見えるまでは ひたすら長い道のりが続きます。
走ったり、歩いたりを1時間位繰り返しようやく松並木へと差し掛かりました。
松並木は約700メートルほど続きます。
少しだけ松の根元に座り休憩。 日差しはすでに夏で眩しいですが 風が冷たく心地よく 絶好の東海道53次日和。 んーっと伸びをして日焼け止めを塗り直して出発です。 これからの時期の東海道53次の旅路には日焼け止めがかかせません。帽子も必須アイテムです。
松並木を過ぎれば、舞阪宿はすぐそこ。 松並木の間には東海道53次の宿場町の石碑があり1つずつ見ながら歩きました。
宿場の東には見附石垣があり、昔は監視の人が立っていたそうです。
一里塚もあります
その先には本陣跡。民家の脇に跡のみあります
脇本陣は、平成9年に解体修理をして復元したもので、旧東海道ではここだけしが残っていません。中を見せてもらえるので、今回の旅路の前に「絶対観よう」と楽しみにしていました。
早速向かいます。
中に入るとガイドのおばさまがいらしたので、挨拶をして中を案内して頂きました。
間口五間、奥行き十五間あるので、中に入ると結構広いです。
こちらは一番立派な上段の間
保存の為の解体修復工事をした際に、かつての材木をそのまま使用している部分がかなりあるので、木材や瓦なんかは江戸の頃のまま。
ガイドのおばさまと話しこんでしまい、あまり写真は撮らなかったですが、御庭もあり、2階は2間しかありませんが、一般の人が宿泊した際はわりと雑魚寝だったそうです。
2階には「籠」が展示されていました。
この籠は名主さんが持っていたものを市に寄贈したとの事。
昔のままなので若干痛んではありますが、博物館以外で細部まで見たのは初めてだったので これも貴重な1品だと思います。前方すだれの裏には障子が貼られていて中を見られたくないときは見られない細工になっているし、肘掛などもあり機能的。 でも実際これに乗ったら 乗り物しやすい私は間違いなく吐きます。
ガイドさんと「大名も籠に乗っても疲れるから、絶対普通に歩いてましたよね 途中。」と言い合いながら楽しく館内を拝見させて頂きました。 この脇本陣は旅籠としての営業は終わった後、お医者さんが買い取り しばらくは医院として使用し、奥の座敷は自分の家として居住していたそうで、その後市に寄贈されたそうですが、脇本陣を一般の住居として使用するとはなんて贅沢。
日本家屋は冬は寒いと思いますが、夏はとても涼しく過ごせるように作られていたので、この日も建物の中を風が通り抜けて凄く気持ちよかったです。
ガイドさんに名残おしくもお礼を言って、脇本陣を後にしました。
時刻は12時前頃。
お昼を食べようとお店を探します。
浜名湖そばにある「魚あら」へ。
うなぎとお刺身のセットにしました。
美味しかった~ 海苔の酢の物、はじめて食べましたが疲れた体にも良くすごく美味しかった。
うなぎも大好きなので大満足です。
目前が浜名湖なので ぼんやり外をみながら食事をとりました。
今日はまだまだ歩くので、食事を終えたらさっそく歩き始めます。
宿場西のはずれには常夜灯があり、東海道は実は一旦ここで切れるのです。(ずっと昔は陸路でしたが、室町の頃、明応8年1499年の地震で陸は外海とつながり分断されました)そのため昔はこの先の旅路は船で渡っていたのです。船着き場だった処は北雁木跡としてあります。
浮世絵東海道53次ではこのように描かれています。
歌川広重東海道五十三次「舞坂」。
美しく凪いだ、浜名湖は今も昔も変わりません。
昔は船で渡っていても、私は陸路を歩いていかなければなりません。この先弁天橋を渡り国道1号沿いに歩いて行くことにしました。
空も青く浜名湖も青く、風はつめたく気持ちいい。
鼻歌なんて歌いながら歩きました。
1号をてくてく歩き、途中弁天島海浜公園駅を通過するので駅横のコンビニで水分補給の為ペットボトルを購入。
西浜名湖橋を渡ります。
またまた浮世絵東海道53次「新居」。
浜名湖を渡る船が対岸にある関所に向かっているところが描かれています。
現在の様子はこちら。
残念ながら同じポジションでは車道がある為写せませんが、方向はこの向きで橋を渡った先右手奥側には関所があるのです。
国道1号はやがて旧道と重なり、渡船場、関所へとつながります。写真は新居関所を手前側から写したもの。
新居関所は江戸の頃には「今切関所」と呼ばれ、現在の建物は安政2年(1855年)から5年にかけて建てられたもので昭和46年に保存の為の解体修理をしていますが、現存する関所はここしかありません。
中が見学できるので見学しました。
・・・・人形がリアルでコワイ。
関所を通るには手形を見せて通るのですが、内容が手形と違うと通れないし、関所をスルーして山越えなどして抜ける事を関所破りと言いますが、関所を破ると処罰されます。
関所脇に資料館もあり(資料館は撮影禁止)資料館にあった関所破りをした人の内容を読んだところ、旅先で出会った女性をつれて関所破りをして故郷の千葉に帰った先で亡くなった人がわざわざ塩漬けにされたまま運ばれ見せしめの為磔に処された事も書いてあり、怖くなりました。
江戸から女性が出る場合と、武器類が他所から江戸に入る際にやたら厳しかったとの事ですが、逆に江戸から他所へ武器類が出ていく場合にはさほど厳しくは無かったそうで 資料館でその事を読んだ際、浜松城でみた復元された徳川家康があたまに浮かびました。
街道を整備し町を作っていった徳川も細部まで目を光らせる事であんなに長い間江戸時代も続いたのか・・と。やっぱり頭が良いというか、実力が無いとこんなに国作り出来ないと思う。
その時代に生きていた訳ではないので実際はどんな暮らしをみんながしていたのかは本や話の中でしかわかりませんが、庶民は幕府の事をどんな風に見ていたんだろう・・・。色々考えつつ、関所を後にするのでした。
先に進むと、本陣跡があります。
道標も。
本陣跡より旧道は左へ曲がり、しばし道なりに歩き一里塚跡の先を一旦右折し棒鼻跡を左折。
棒鼻跡が宿場の西のはずれになるので、この先白須賀に向かい歩いて行くのです。
国道1号と一旦重なり道が2手に分かれたところで右側の道へと入って行きますが、多少道は入り組んでいた箇所も途中にありましたが 「なんとなく旧道っぽい感じ」のいつもの感覚で歩いていると迷いません。
この先はまたずっと西へ西へと進みます。途中「潮見坂」に差し掛かるまで西へとただ歩きます。
あたりは畑も多く「何を作ってるんだろう・・」と見ながら歩いていたら犬を連れたおじいさんと出会い、動物も大好きなので犬につい先に「こんにちわ~暑いね~」なんて声をかけたら、犬が喜んでじゃれて嬉しかった。
お散歩コースが一緒だったようで、しばし おじいさんと犬とおしゃべりしながらお散歩に同行。
この当たりは人口もだいぶ減り、お年寄りが多くとてもさみしいそうです。
建っている家も空き家が多く、だいぶ売りに出ているそうな。
津波の被害があってから人口がどんどん減ったと言っていました。
「お嬢ちゃんは地方には住んだ事あるの?この辺どう? 働き口もね、結構あってSUZUKI自動車の部品の工場とか、実はけっこうあるんだよ。」と聞かれたんですが、「今の仕事があるので引っ越しは難しいですよね・・・」と話をしながら歩いてました。
もし私が仕事とかそういった事を考えず、別の場所で暮らすとしたら静岡県を選ぶと思います。東海道53次を歩いて来て、静岡をずっと旅してますが、静岡がとっても好きになりました。町も人も。本当にやさしい人が多いのです。
おじいさんと、東海道の話やなぜか自分の家の事まで話しつつ、「じゃあ、この先も気を付けるんだよ」と送り出してもらいました。「ありがとうございます。さようなら~!」と手をふってわかれました。
なんとなく切ないような、なんとも言えない気持ちを抱えて旅路をゆきます。
***
潮見坂からは山道っぽいというか、登りになります。坂をのぼりながら太平洋が見える絶景ポイントなのですが、ここでまた 浮世絵の東海道53次、「白須賀」。
山道の間から見える遠州灘が綺麗。
現在のようすはこちら。
写り的に見えずらいのですが、奥に見えるのは遠州灘。 この道もとっても気持ち良かった。
光る海を見ながら歩きました。
潮見坂を登りきると休憩所の「おんやど白須賀」がありますが、時計を見ると先に早く進んだほうが良さそうなので、休憩はせず歩きます。
このあたりはバスがありますが、土日は運行が無く1日2~3本のみの運行ですので、白須賀を越えて二川宿まで必然的に歩かなければなりません。
今度は道なりに下って行き やがて国道1号と交差したところで右折。あとはひたすらJR東海道線と交わるまで西へと歩きます。
西日がきつくなってきました。17:30頃には二川宿まで出れるかな・・・と思いつつ、季節が夏で良かったです。冬ですともう真っ暗な時刻。 周囲に何もないので真っ暗だとかなり怖いと思います。
途中で静岡県が終わり、愛知県へと入ります。
自撮り(笑)。愛知県に入った記念に撮りました。足を踏み入れるときに「あーいちっ!」と叫んで踏み越えました。
静岡県良くしてくれてありがとう。またね またくるね。といって写真をパチリ。
ずーっとひたすら歩いているとやがて東海道新幹線の線路が見えて ちょうど線路と交わる場所の高架下をくぐり道なりに。
その先は八幡神社。
街道は昔の面影を残しつつ、道は続きます。
その先に、本陣跡。
高札場跡もありました。
ということで、二川宿到着!! 今回は結構歩きました~!
浜松宿から舞坂宿10.8㌔、舞坂宿から新居宿5.9㌔、新居宿から白須賀宿6.5㌔、白須賀宿から二川宿5.7㌔。合計28.9㌔。30㌔近いとさすがに足がかなり疲れます。
街道の先はJR東海道線の二川駅なので、二川駅から豊橋駅まで出て新幹線ひかりで びゅーんと東京まで帰ってきました。
東海道ずっと歩いてるけどいったい何歩くらい歩いてるんだろう・・・とちょっと気になったので、今回はポケットに万歩計をしのばせて歩いていました。
帰宅して玄関前で万歩計チェック。
5万8千歩ほどでした。もっと歩いてる感覚だったんだけどな~(笑)
そんなこんなの東海道53次⑮ 浜松宿から二川宿まで。無事帰宅して良かったです。
今回もたくさんの人とお話して楽しかった。うなぎ美味しかったし。
若干筋肉痛を感じながらブログを更新しておりますが、東海道53次のツヅキ、まだまだ続く。
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