2020年2月29日土曜日

東海道53次ノツヅキ⑱

東海道53次のツヅキ⑱

~岡崎宿から知立宿を経て鳴海宿から宮宿まで~

前回のお話しはこちら

約2年半ぶり、東海道53次を歩いてきました。

前回までどんな感じだったっけ?と自分のブログを振り返りガイドブックと地図を見る。

前回は岡崎で終わっていましたが、いつもの歌川広重の浮世絵との比較を載せていなかったので、それも入れつつ今回の旅も記録していこうと思います。
今回はさくぽんの指輪も一緒なので、一緒の旅路。

新幹線で豊橋まで行き、岡崎公園前駅に向かってからスタート。

前回も八丁味噌の工場見学もできるカクキューで終わってましたが、このあたりは八丁味噌を作っているところも多い様子。

岡崎公園前駅からすぐ旧道に入ると、お味噌屋さん。

道は、旧道だとすぐわかりますが案内もちょこちょこあり、わかりやすいです


矢作川に差し掛かります。

さて、ここで浮世絵の紹介。 こちら下は浮世絵の「岡崎」

そしてこちらは現在の様子。


おそらく江戸の頃はもう少し位置が違う場所に橋は架かっていた様子。撮る角度が違うところはご愛敬。

橋を渡り、国道1号と並行したり、交わったりしつつ西へと向かいます。

国道1号と並走するように名鉄名古屋本線も走っており、鉄道では矢作橋駅、宇頭駅、新安城駅とつづきます。今回の旅、ただひたすら歩く感じだったのであまり写真を撮りませんでした。ひたすら西へと東海道を歩きます

知立に向かう間、松並木がちらほらとあり、松並木を見ると東海道に来たなぁと思うのです。


知立までは道も迷うことなく、進みます。9時頃岡崎公園前駅を出発しましたが、朝4時頃自宅でパンを食べてからだいぶ時間がたったので少し小腹がへりました。
途中マクドナルドがあったのでお手洗いに寄りつつ、フィレオフィッシュをテイクアウトしてお行儀は悪いけど歩きつつ食べました。(途中誰にも会わなかったのでヨシ(笑))

ひたすら歩いていくと右手側に熊野神社。
いつもの旅路だと、参拝したいところですが喪中なので神社には寄れず、先へと進みます。(お寺は大丈夫)
熊野神社の先に永安寺があり、立ち寄ると素晴らしい松がありました。


永安寺のクロマツは樹齢350年だそう。

雲竜の松、と言うそうです。

素晴らしい‥‥ なんて立派な松…

息をのみつつ、しばしたたずみました。

永安寺の先に明治川神社もありますが、こちらも寄れないのでそのまま先へ。
途中猿渡橋を渡り、無量寿寺道標をすぎ

更に先には一里塚。


途中途中にある松並木の下に立派な松ぼっくりが落ちていたので、杏に見せてあげようと、お土産にひとつ手に取ります。
松並木を歩いていくと、馬市之跡碑に差し掛かります。

さて、ここで浮世絵の登場。
東海道五十三池鯉鮒。
当時は馬市があったんですね。 こちらは現在の様子。

馬の代わりに現代では車が走っております。

その先少し商店街っぽくなるところに問屋場跡、本陣跡があるのですが人が多く写真は撮れませんでした。

途中、知立城跡があったのでこちらはパチリ。
ここにお城があったとは今では想像できませんが、今では公園になっています。
その先にあんまきで有名なお店があったのですが、鰻を食べると心に決めていたので食べず(結局あとから買っておけばよかったと後悔します)先へと進みます。

東海道は国道155号を渡ります。地下道を通るのですが、地下道の中にもちゃんと表示ありました。



地下道を抜けた先、逢妻川に架かる逢妻橋を渡る。

もうここから結構苦しかったです。というのも、延々車のバンバン走る国道1号を歩く。途中旧道に少し入り、また国道に戻るよう進む東海道。なのですが旧道への入り口がわからずひたすら歩く国道1号。何も無いので延々と歩くのみ。
ようやく境川に架かる境橋にたどり着き、境橋を渡れば尾張に入るのです。

国道1号から瀬戸大府東海線を横切るあたりで旧道に入ります。
すぐ阿野一里塚。こちらの一里塚は道の両端にちゃんと当時のまま残っており国の史蹟に指定されています。

中京競馬場前駅で線路下のガードを抜け、その先に桶狭間古戦場後。寄り道するか迷いましたが、お墓もあり ちょっと連れてきてしまいそうで怖かったので寄らないで先へ進む。さらに西へ進むと知立と鳴海の間の宿、有松へ入ります。有松は有松絞が有名で、当時の大名たちがお土産として有松絞の浴衣だとかを買っていったそう(おみやげ物のおばあちゃん談)有松は街並み保存区域となっており、素敵なたたずまいの町屋が続きます。

そこで、東海道53次鳴海。浮世絵の紹介。


現在の様子はこちら


浮世絵でも店先にかかる暖簾、有松絞なのでしょうね。値が張るので普通の人は買えなかったそうですが、私は小さな巾着をひとつ、自分のお土産に購入しました。

有松を抜け、旧道は道なりに西へ続きます。このあたりは入り組んでいないので地図を見ないでも道の感じで旧道がわかるので良かったです。
途中常夜灯もあります。
このあたりはお寺も多く、ふとお寺の屋根の上を見るとしゃちほこが乗っていたり。
日も暮れてきたので、どこにも寄らず、先へ先へと歩きます。天白橋を渡り、しばらく進むと笠寺一里塚。

名鉄名古屋本線をまたぎ、道なりにずっと進んでいくと湯浴地蔵。

山崎橋を渡り、先へ進むと高速道路の下をくぐり、東海道本線を越えた先、247号線の手前に東海道道標があります

実はもう宮宿には入っており、宮宿から先は昔は船でその先の桑名に入ったそう。私は旧道を歩く予定なので、昔の「船酔いするので歩いて桑名まで行った道」を参考に次回の東海道53次を歩こうと思います。

ということで、今回はこれで終了。 2年半ぶりの東海道なのに約30キロ、ほぼノンストップで8時間半歩きました。良いタイミングでお昼が取れず、このあとひつまぶしを食べました。


次の東海道53次は夏休みをとるころ、やろうと思います。


まだまだ続く。

















7 件のコメント:

  1. すごい、一日で30キロも歩いたんですか。
    浮世絵との対比が面白いです。
    東海道ともなるとさすがに旧跡が多いですね。
    また楽しみにしております。

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    1. ちゃたろさん ひさしぶりに長距離を歩いたのでだいぶ疲れましたが楽しかったです☺歴史のあとを辿ると言うか、昔を感じられる場所はとても楽しいです

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  2. ご無沙汰しております、実は我が家の11歳うさぎさんが本日旅立ちました
    3月頃から斜頸と寝たきり状態となり介護生活でしたが、コロナの影響で家族皆が協力し向き合う事が出来た事が幸いでしたが、私自身の憔悴と感情の浮き沈みが思いのが辛いです。ふとさくぽんの闘病記を思い出しまた読ませて頂きました、すずさんはお一人で介護看取り改めて立派だったと感じました、思い切り泣き送り出したのですが、ふとポコの部屋に入りケージを見つめると寂しさに押し潰されそうです。取り留めのない文章ですいません、また訪問させて下さいね。お体にはお気をつけて

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    1. ぽこさん 今はとても心がぎゅっと、何も手につかない情況だとお察しします。うさぎさん、頑張ったんですね。ご家族のかたも、ぽこさんも 介護、お疲れ様でございました。きっとうさぎさんにもたくさんの気持ちが伝わっていると思います。私もさくぽんを看取った時、生きることと、命を終える事は切り離す事が出来ず、これは自然な事で天命なんだと何度も自分に言い聞かせました。なにより、つらそうなさくぽんを見るのも心が限界でした。今は心に穴が開いた状態で何も考えられないとお察しします。。うさぎさん、うさぎさんの一生をまっとうして、生ききり本当にえらいです。ぽこさん、お腹がすいたら食事をとり、眠れそうなときは眠ってくださいね。うさぎさん、きっとぽこさんの側にいると思います。うまく言えずにすみません、、
      うさぎさん、幸せだったと思います。こんなに、ぽこさんに想われていますから。さくぽんに、お空のうさぎさんに挨拶してね、と伝えます。

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  3. お返事ありがとうございます、命を終える事は自然な事で天命なんだと
    何度も自分に言い聞かせる・・そうですね、私も心に留めて置きます。
    今夜はこんな遅くまで眠れるかな・・正直瞼を閉じるのが怖いのです。
    まだまだ心に穴がポッカリ空いて苦しいですが、出来るだけ笑顔で
    見送りたいと思います、あと私のHNの「ぽこ」はこの子の名前です
    紛らわしくてすいません・・さくぽん・・宜しくお願いしますね。
    「ポコ」という名前のグレー色の耳垂れうさぎです、一人でいたら
    声をかけて下さいね・・

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    1. ぽこさんへ うさぎさん、ぽこさんってお名前なんですね さくぽんにぽこさんの事、伝えました。 私、さくぽんをお空に返した時、人目も気にせずわんわん泣きました…
      我慢せず、今はたくさん泣いてください。。 さくぽんの部屋も最後の日のままです。 さくぽんはたまに帰ってきている気がします。 きっとうさぎのぽこさんも、そばにいると思います。 少しでも体を休める事が出来たら良いのですが……
      ぽこさんの体調、心配です。
      どうか、ご自愛くださいね。。

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