東海道53次ノツヅキ⑲
~宮宿から桑名宿をへて四日市宿まで~
さて、お久しぶりの東海道53次、旅してきました。
朝早くこだまに乗って名古屋へ名古屋から熱田神宮前まで行き、前回の終着点宮宿にある東海道道標まで。
とても良いお天気で歩きやすそうな秋晴れ。
颯爽と歩き始めます。 昔は船で宮宿から桑名宿まで七里(27キロ)渡りました。
その「渡し」のあった場所まで向かいます。
道標そばの陸橋を越えて、堀川沿いに向かって歩くとあります。
渡し場の奥に見える川。
現在はもちろん、渡しはありません。
さてどうするかと言うと、どうしても旧道を歩きたい私は江戸の頃、船酔いなどで船が苦手な人の使っていたという「佐屋街道」を歩くことにしました。
結局佐屋街道も最終的には渡しを使うことになるのですが、それはひとまず置いておいて、佐屋街道へと向かうべく、先ほどの道標付近まで、戻ります。佐屋街道は道標から国道19号を超え、熱田神宮脇を歩いていきます。
と、ここで浮世絵の対比を。
東海道53次宮宿、浮世絵はこちら
熱田神宮の鳥居が見えます。
現在の様子がこちら
浮世絵の鳥居は神宮正面の鳥居かもしれませんが、正面の鳥居が人が多く、人の少ない方の鳥居を載せてしまいました。浮世絵はどの鳥居を描いたものかは不明ですがご容赦を。
さて、神宮を右手側にみて国道19号沿いを歩いていきます。
信号、金山新橋南の角に道標があります。
途中途中にちゃん道標や目印になるものがあるので迷いません
中川運河を越えた先、名鉄線烏森駅手前に烏森の松並木跡があり、昔は立場(休息出来る場所)だった様子。現在は松が2本のみ植樹されています。
まだ時間はお昼前でさほどおなかは空いてはいませんでしたが、この先食べられるところも無さそうな気がしたのでこの先の食堂できしめんを食べました。
名古屋方面にくるとやはりきしめんは食べたくなりますね。
お腹も膨れて、また歩き始めます。道は迷うことなくひたすら道なりにまっすぐ進むだけ。
庄内川の所でいったん畑江通りに入り、万場大橋を越え旧道に戻ります。
昔はこちらも渡しで舟を使っていました。
この先少し旧道が入り組んでおり少し、迷いました。 畑江通りに向かうよう歩き、万場の信号で通りを越え右手に浅間神社、砂子橋から新川を越え十二所神社の鳥居脇を通ります。
またひたすらずーっと道なりに歩き、七宝焼原産地道標で少し休憩。
この後もただひたすら歩き、神守の一里塚。
ちなみにこの一里塚は唯一、佐屋街道で現存する塚になります。
さらに進むと宿場跡。
その先日光橋より日光川を越えて、また道なりに歩き目印も途中にあるので時おり写真を撮りつつ歩きます。
津島神社の常夜灯(上の写真)の先分岐を左折、道なりに行き、名鉄尾西線を右手側にかすかに感じつつ、明通寺先交差点を右折、踏切を越え佐屋街道碑があります
このあたりは畑が多く、西日で金色に輝く稲穂がすごく綺麗でした。
ここから先は須依の交差点を右折すると、佐屋舟場道標にたどり着きます。ここで佐屋街道の終点。
ですが、もう日も落ちてきてあたりが暗くなり始めてきたので、今日はここで宿へ向かいます。 鉄道に乗り桑名駅へ。桑名駅前のビジネスホテルを取っていたので、チェックイン前に地元の飲み屋さんで焼き蛤とイカチリなんかを食べ、ホテルで休む事にしました。
***
さて翌朝、ホテルから桑名の七里の渡し場跡へ向かいます。
舟には乗らなかったけれど、川沿いを歩く。
渡しに到着。
さて、浮世絵の登場。東海道53次桑名、浮世絵はこちら。
現在の様子がこちら。
ここから、また西へと歩き始めたんだなぁと。でも船酔いでしんどい人もいただろうなと思いました。
この先を進んでいくと、春日神社前に青銅の鳥居があります。
桑名は鋳物業の町として栄えた為、青銅の鳥居。このあたりにはちらほら史跡があるので、足を止めつつ歩きます。
道が分岐するところにはだいたい道標がありました。
この先入り組みつつ進むため詳細は割愛して写真で。
火の見やぐらは国道1号を越えた先にある矢立場跡。旧道は南へと進みます。
江場松原跡。このあたりは昔は松原となっており、鈴鹿の山も綺麗に見えていたそうな。
現在は展望は全くありません。
員弁川手前に常夜灯。このあたりの川は鈴鹿山からの水脈なのかとても水が綺麗でした。
ここからいったん、道は旧道から外れて町屋橋を越えてからまた旧道へと戻ります。
とちゅう力石をいくつか見かけました。
かわらずの松、こちらの松の木は樹齢約200年。
立派な松でした。ちなみにかわらず、と言うのは変わらないということでは無く地名の「川原津」からとったものだそうです。
やがて国道1号と交わりつつ、また平行しつつ旧道は続きます。
海蔵川の手前に一里塚跡も。
三滝川を越えた先がかつての宿場町でした。
かつての本陣、問屋場あとは現在では全く姿をしのぶことは出来ず、現在では建具屋さんや医院になっているようでしたが、普通に現代の生活圏の中で写真も取れず、かつて賑わいを見せたであろう宿場町を足を止めず通り過ぎました。
かつての本陣があった場所を過ぎたあたりに、道標が鎮座しております。
本来の流れですとここで、浮世絵と現代の対比を載せるのですが、なんと足を止めず歩いた為、写真を撮り忘れました… なので次回の東海道53次は四日市宿の現在の様子を撮るところから始めようと思います。
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この日は名古屋に宿をとっており、お昼ごはんもまだでしたので四日市駅から名古屋に戻り、ひつまぶしを食べました
名古屋泊の後は、家で杏が待っているのでどこにも寄らず、すぐさま東京へ。
次回の東海道53次旅は12月頃の予定です。
まだまだ続く。
すずさん、お久しぶりです。
返信削除今回もたくさん歩きましたね。
この辺りの地理は全く分からないので、Googleマップを見ながら読みました。
さくぽんの指輪も一緒でしょうか。
二泊の間、杏ちゃんは大丈夫でしたか。
また次回を楽しみにしています。
ちゃたろさま お久しぶりです。
削除ブログお読みいただきありがとうございます☺ 今回の53次は我ながら雑に書いたなぁと読み返して思いました💦Googleマップを見つつ読んで頂き恐縮です💦 さくぽんは毎日私の左手の中指に一緒に居ます☺ ちょこちょこ、話かけながら旅をしたりしています✨ (周りから見たら独り言なので少しあやしいかもしれません)杏は2晩位ならお留守番は大丈夫ですが、帰宅したら手厚くしつつ、旅の話をしています。一応ちゃんときいてくれるんですよ~
また更新しますので、のぞきにいらして下さいね