鎌倉街道の続きを歩いてきました。
朝早い電車に乗り、前回の終着スポット丹荘駅まで。
丹荘駅へと向かう八高線は、車窓からの景色も、電車の揺れる振動や座席のきしみもとても素敵でなんとも癒される電鉄でした。あと何回か八高線には乗る予定なので今後もとても楽しみ。
この日は朝からとても寒かったので、駅に着いたらストレッチをしてから歩くことにしました。(大事)予定では20キロいかないくらい歩く予定。
丹荘駅の踏切を渡り、南東へと歩きます
途中の田畑の多い道沿いにチューリップがたくさん植わっていたり、椿の花が満開だったり春を感じながら歩きました
まず最初に出会った熊野神社にて参拝。
熊野神社のあるあたりは八日市とよばれ、毎月8日に市が立ったそうです。
熊野神社から住宅街の間を縫うように歩き、八高線の線路付近に近づくように歩くのですが、途中に龍清寺。
境内に建つ大木が空に向かう龍のよう。
龍清寺のほど近くに、江戸時代の国学者・塙保己一の生家、文化財)
国道462号線のあたりより、線路沿いに進み、途中でまた街中にすすみますが、競進社模範蚕室があり、立ち寄りました。
蚕の糸を紡いでいた当時の人々を思いながら頭の中に古い映画、野麦峠の映像が流れていました。館内には私しかおらず、じっくり展示を見られましたが、野麦峠が頭からはなれず、苦しくなったので足早に退館。係の方と少しだけお話して、この先の道中気を付けて、と送り出して頂きました。
ここから、雉岡城跡に寄り、少しだけお花見をしました。
満開の桜がとっても綺麗だった。降ってくる桜の花びらをつかもうとしたけれど、なかなか花びらを手に掴むのが難しかった。
城跡からほど近くの塙保己一記念館に寄り、塙保己一の生涯をすこし見たりして、あまりにも自分と違いすぎて愕然とした。幼いころ視力を失い、母親も早くに亡くし苦労して文字を覚え、国学者となった塙保己一、死んでしまおうとおもった事もあったと書かれていたけれど、生涯を生き抜いて世のためになる痕跡を残していったなんてすごすぎる。あまりにも人間力が高くて愕然とした。私なんて後数回生まれ変わってもそこまで崇高な人生を歩む事は出来ないだろう、と思った。
街道歩きはこうやって今までは通り過ぎていた歴史上の人の一面を学ぶことが出来るな、と思いながら、資料館を発つ。
かつての商いの宿場町の雰囲気を残す児玉らへんを抜ける。
八幡神社の入り口には高札場跡があります。八幡神社のお社の彫刻が素晴らしかった。
街道はこの先小山川を越える
小山川を渡り、ガリガリ君で有名な赤城乳業の工場脇をぐるりと回るように歩き
工場脇に一里塚。
鎌倉街道では一里塚をあまり見かけないので、あるにはあるのねと思ったり。
(昔は本当に一里ごとにあったと思うけれど、宅地化や道路整備でつぶされている)
途中鎌倉街道の案内板があったりして、街道の名残は無いけれど迷うことは無い感じ。
しばらく進み、さらし井。
さらし井は万葉集に関連するかつての井戸ですが、今の井戸は近くを流れる一級河川の工事で枯渇したそう。昔はこんこんと湧水が流れていて洗濯をしたりしていたそうな。
さらし井の脇にある薬師堂の修繕工事をされていたおじいちゃんがいて、色々お話を聞けた。以前、市の文化財を扱うお仕事をされていて今は引退したと言っておられましたが、薬師堂の中の仏像のお話や地域のお話、貴重なお話を聞けてとても楽しかった。
おじいちゃんに気を付けてと送り出して頂き、こころが暖かくなった。
さらし井近くには常福寺。
平安時代の阿弥陀如来像が鎮座するそう。(有形文化財)
そのあとは八高線用土駅方面に向かいゆるゆると175号線ふきんを進んでいってこの日の終着点へと向かいます。
途中で食事をとったり
このボリュームで850円✨
蔵元があったので、お酒を買ったりしました。
終着点は八高線、用土駅。
用土駅で1時間ほど電車を待ち、帰路に向かう途中小川町駅にあるスーパー銭湯に寄ってから帰宅しました。
(夕食もしっかり取ってから帰宅)
今回の鎌倉街道はおじいちゃんとのお話がきけて本当に良かった。どうか元気で長生きしてほしい。
鎌倉街道上道、まだまだ続く。
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