2017年6月24日土曜日

東海道53次ノツヅキ⑯

東海道53次のツヅキ⑯

~二川宿から吉田宿をへて御油宿まで~

前回のお話はこちら

東海道53次の続きを歩いてきました。

今回の東海道は今までの中で一番ある意味過酷だったかもしれません。 では、さっそく。

前回、ようやく愛知県入りした東海道53次。

朝7時頃の新幹線ひかりで東京駅を出発し、向かうは浜松へ。

浜松から前回の終着点二川駅へと東海道本線を乗り継ぎます。

浜松から乗換、東海道本線の豊橋行きに乗り込んだところで車内アナウンスが。

どうやらこの先向かおうとしているまさにその駅 二川駅~豊橋駅の間で人身事故発生と。

えええええ・・・・・

乗車している電車は途中の新居駅止まりとの事。

どうしよう・・・ 二川駅までは他に沿線も無く、運転再開は見通しがたってない様子。

とりあえず、そのまま電車に乗って新居駅まで。

新居駅で降ろされ、スマホでバスで行けないかとか色々検索してみたのですが・・・ 

とりあえず新居駅を出て、駅前にバス停があったので、豊橋方面のバスに乗り込む。バスの本数もとても少なく、不安で胸がいっぱい。

GPSを見つつ、バス停の検索をしたまましばらくそのバスに乗っていましたが、結局 二川駅まで乗り継げるバスは無く、途中で下車。

下車した場所から2キロほど歩き、結局東海道線まで戻ってきました。

戻った駅は東海道線鷲津駅。

先ほど降りた新居駅から1駅しか移動していなかったので、無駄に疲労しました。

駅に戻ると、まだ電車は動いておらず 駅の中や外で みんな立ち往生している様子。

私もいきなり疲れたので、もう移動はあきらめて運転再開まで待つことに。

今回の東海道では愛知在住のお世話になっている方にお昼に会う約束もしていたのですが、電車の再開時間が読めず、時間的にも厳しいかもしれない旨LINEで連絡を取り、私の気持ちもどんどん萎えていきました。

なにもこんな日に人身事故なんて・・・ しかも日帰りなのに・・・ 新幹線代もばかにならないのに・・・

せっかく朝早い新幹線に乗ったのに、時刻は10:30過ぎ 本当だったらとっくに歩き始めている時間・・・ 考えれば考えるほど萎えます。

結局運転が再開し、二川駅に着くころには11時を過ぎてました。

2時間ほど押しています。

すっかり気持ちは東海道を歩くテンションでは無くなっていたのですが、ここまで来たし・・・ 歩くか・・・。 と 重い足取りで歩き始めました。

二川駅前を西へ向かう。


目印の道標があります。

その先交差点のところが火打坂。

坂を上り、登りきった先を左へ。国道1号と並走して歩く・・・・ のですが、どうやら道を間違えしばらく北側に向かい歩いてしまう。

げ、間違えてる・・・!と気が付いた時には結構北側へ歩いてしまっていて、気持ちもまた暗くなります。(笑)

スマホのGPSで自分のいる位置を確認して、とりあえず国道1号方向へ戻りました。

さて、東海道53次、二川の浮世絵。


これは豊橋へと向かう丘陵地帯をゆく旅人が描かれているのですが、道に迷っている私の写した現在がこちら。



本来だったら国道1号方向にもどり、しばらく続く旧道を写せばよかったんですが、すっかり気持ちも落ちてしまっていたので 間違っている方向を歩いているのにパチリ。
まぁ、道に間違うのもここのところはあまり無かったんですが・・・これも思い出か。と言う事にします。

***

やっとこさ旧道に戻るとちょこっと案内もありました。


そっか、こっちの道だったか・・・と 歩いて来れなかった先の旧道を振り返る。

なんだかついてない日はとことんついていない日なのです。
まさに今回の東海道はそんな感じでした。(道を間違えたのは自分のせいですが)

ここで、愛知県在住のお会いしたかったM氏より連絡が入り、ちょこっとだけでも会えそうな感じに。

この先で待っていてくださっているようなので、スマホのバッテリーが8%しかなく 慌てて充電をしつつ 旧道を先へと向かいます。

***

なんとか合流出来てランチを一緒にとり、今までの散々な感じをわーっと 話して、だーっと食べて わーっと解散。 忙しいところ時間を割いて下さって申し訳無かったですが、久しぶりにお会い出来て嬉しかった。

がんばってね!と送りだして頂き、ようやく テンションも持ち直してきました。

炎天下の中、日焼け止めをし直しつつ、また歩き始めます。

旧道は国道1号と重なり、ひたすら西へと向かいます。

途中一里塚はあるはずなんですが、なぜか見つけられず。もくもくと歩く。

東八町交差点まで差し掛かると道路脇に東惣門の模型があります。


惣門は、城や主要な街道の外郭に建てられていて、ここには見張りの人がいて監視をしていたようです。

この先の街道はかつての吉田城を思わせるような、屈折した道なりとなります。

地図を見つつ、左折したり 右折したりを繰り返し進んでいきます。

途中路面電車の線路をまたぎ、先へ進むと吉田宿本陣あとがあります。


本陣跡の場所にうなぎ屋さんがありました。


うなぎ、食べようかな と少し考えましたが、ランチを取ってまだ時間もあまりたってなく 無理には食べることも無いか・・・と また歩きはじめました。

街道は、その先「湊町神明社」の角を右折。豊川にかかる橋を越えます。

さて、ここで 浮世絵 東海道53次「吉田」。


奥に見えるのはおそらく現在だと「吉田大橋」だと思いますが、位置的にもう少し左手がわを私はあるいているので、そこから 現在のようすとして写真を撮りました。

現在の様子がこちらになります。


橋を渡る手前に、お菓子やさんがあり みかんのシャーベットがあったので ここでしばし休憩。

店内でシャーベットを食べ 少し足を休めてから 橋を越え、その先の御油宿へと向かうのでした。

豊川を越え、またひたすら西へと続く旧道。

途中に瓜郷遺跡があったので寄ってみました。



昭和11年の道路拡張工事で貝塚が発見されて、出土した土器から弥生時代の遺跡である事が判明。 何度かの発掘調査をへて国指定の史跡となったようです。

遺跡の脇にベンチがあったので腰をおろして 当時の生活を考えてみました。

弥生時代からはじまった日本の稲作ですが、この当たりでも 畑や稲を作り 狩りをして、また当時の海岸線よりさほど遠くない場所に集落があったそうなので 漁業もおこない、生活をしていたんだなぁ・・・と思いを馳せました。

***

遺跡をあとにし、その先 豊川放水路を越え(ここは歩道が確立されておらず歩くのがとても怖かったです。 車の交通量も多いので)

JR飯田線の線路を越えやがて国道1号と合流し、名鉄線の線路を更に越え西へと歩きます。

ここでまた少し迷いました。 今回は「なんとなくこの道が旧道だろう」といったカンが全く働かず(笑)本来の方向音痴をいかんなく発揮していたように思います。

幸い、あれ?違うかな?と気が付くのが割合はやめだったので、歩く道の修正は早めにできました。。

途中国道1号と旧道は少し離れますが、旧道沿いに「大社神社」があるのでそこを目印として歩く。



大社神社にはこいのぼりが掛けてありました。

大社神社の先、姫街道と交差。

姫街道とは 少し前に通ってきた見附宿から、浜名湖の北側を経由して御油宿まで続く60㌔の街道で、浜名湖の南側が通行できなくなった場合の迂回路だったり、本当かは不明ですが女性が多く歩いたとされる街道だそうです。


姫街道の脇に常夜灯もありました。

その先、音羽川を越える。


夕方のそよそよ吹く風が気持ちよく、しばし川を見てたたずむ。

その先には、高札場跡。


ここで右折してその先に問屋場跡。


ちょうどこの当たりが、御油宿の横町となります。

と、いうことで 御油宿到着!

本来であれば、その先赤坂宿まで歩く予定でしたが、時間的に御油宿でタイムリミット。
朝の遅延さえなければ・・・と もやっとしましたが、今回の旅路はここで終えることとしました。

かつての宿場の中心はその先を左折した場所になります。

最後に浮世絵東海道53次 「御油」の紹介を。


旅人を自分の宿へとひきとめてるなんだかユーモラスな浮世絵。

現在の様子はこちら。


この先左側にかつての本陣があったので、かつては御油宿のメインストリートとなっておりました。

***

さてさて、名鉄名古屋線の御油駅から豊橋経由で東京へと帰ります。

御油駅までは徒歩10分ほどでしょうか。

駅前に喜多方ラーメン屋さんがあったので ちょっと早いけど夕食にしてしまおうと 味玉ラーメンを注文。


さほど距離は歩けなかったものの、炎天下の中歩いていたので疲れていたのもあり、ラーメンの塩っけが美味しかったです。

***




豊橋駅の新幹線のホームから桃色にそまる空をみながら、今日の一日を振り返りました。


なんだかついて無い1日だったなぁ。。。と思いましたが、久しぶりの再会は嬉しかったし、旅の最後のラーメン 美味しかった。 

まぁ・・・こうゆうのも 思い出だよね とぼんやり思いつつ、こだまにゆられて東京へと向かうのでした。


おしまい。