2021年4月4日日曜日

東海道53次ノツヅキ⑳

 東海道53次ノツヅキ⑳

~四日市宿より石薬師宿、庄野宿、亀山宿をこえ関宿まで~

前回のお話はこちら

早いものでもう20回目の東海道の旅。もうすぐ終わりが見えてきて切ないです。

東海道旅ではあまり人と話すことがありませんが、緊急事態宣言解除後ひっそりと行ってまいりました。

自宅の最寄りを始発で出発し、6時台ののぞみに乗車したので、前回の終着点「四日市駅」にはだいぶ早い時間に到着出来ました。

前回浮世絵の場所の写真を撮ることを失念したため、四日市宿の浮世絵の場所であったと思われる三滝川に架かる橋まで最初に行きました。

さて、では四日市宿の浮世絵はこちら

現在の様子はこちらです


ちょうど三滝橋を映したものです。浮世絵では笠が飛ばされている旅人が描かれてますが、この日は穏やかで、気持ちの良い旅路のスタートを切れました。

旧道をそのまま歩き始めます。近くに四日市宿の資料館がありましたが、新型コロナの影響で休館しており観れず残念でした。

駅前のアーケードがそのまま旧道となりますが、手前の諏訪神社で参拝をして

日焼け防止の為にアーケードの中にある土産物屋さんで手ぬぐいを一本買い、首に巻いて歩きます。道なりにずっと進んでいくと、右手に日永の一里塚跡。

江戸日本橋から100里目、約400キロよく歩いて来れたなぁ、とじんわり。その先左手に一本松があります。

江戸の頃はこのあたりは松並木で、現存する松は1本のみ。とても立派な松の木で、松を見上げてほーっと息をついたほど。

道はまっすぐ進み、日永の追分で分岐となり、右手に折れ先をすすみます


早朝に新幹線内でサンドイッチを食べましたが、時刻は11:00頃、小腹が減り先にある近鉄線の追分駅にあるおにぎり屋さんでおにぎりを食べました。

おにぎりを食べると力が回復するのが不思議。おにぎりパワーと普段呼んでいます。更に進んでいきますが、その先で水道管工事をしており、目印にするはずの道標が見当たらなかったのですが、「旧道の感じ」はわかるので目印が無くても進めました。内部川を越える手前から道がなだらかに登り坂の道になります。内部川を越え、ところどころに小さな東海道の案内表示がありますが、迷うことなく進めます。杖衝坂碑を見つつ、登り坂まっしぐら。

すぐ隣に弘法の井戸があります。弘法大師様が水に困っている村人の為に掘り当てたそうな。


坂道を登り切った先は見通しも良く、心地の良い風が吹いていました。

道なりに進み、その先の国分町交差点で旧道は左に反れ、分岐のところに地蔵堂があり、石薬師宿に入っていきます。

小澤本陣跡が右手に。

先に石薬師寺があります。

さて、浮世絵の石薬師宿。奥に石薬師寺が描かれております。

現在の様子はこちら。


浮世絵に描かれている門がどちらからの方向のものかわからず2パターン撮りました。参拝もしてきましたが、静かで 散る桜の花びらが風に雪のように舞ってとても穏やかな心持になりました。

道は下り坂になり、JR線をくぐる手前に道標があります

石薬師宿から次の庄野宿までは4キロほどしかなく、距離はとても短いです。旧道はやがて国道号線と重なり、車の往来も激しくなります。浮世絵の庄野宿はそのあたりになります。


庄野宿の浮世絵では白雨が描かれており、季節は梅雨の頃、明るい昼間にざっと降る雨。雨の筋や旅人の様子でまるで当時の雨の匂いまで感じるなぁ、ととても好きな浮世絵の1枚です。現在の様子はこちら。

車の行き来も多くうまい具合に撮れませんでしたが、だいたいこのあたりだと思われます。(なお先にある宿場の資料館で詳しく浮世絵が描かれた場所については説明を頂くことができます)国道1号の庄野町北交差点で右折し庄野町西で左折すると、庄野宿に入ります。

資料館が解放されていたので、中に入り庄野宿の説明を頂きました。


館内は文化財があるため、写真撮影は禁止でした。江戸当初の高札があり、ニカワによって墨が浮き出たようになっていた為、今でも文字を読み取ることが出来て(読めませんが)貴重なものが観れて嬉しかったです。 資料館を出ると先に問屋場跡、本陣跡があります。


一旦予定では庄野宿をこの日の終着点にする予定でしたが、まだ時刻が14時前頃っだったので、さらにその先亀山宿まで歩くことにしました。亀山宿までは9.2キロ。ゆっくり歩いて3時間ちょっとと算段。宿場を進んでいくと、女人堤防碑に差し掛かります。


女人堤防碑は、水害を防ぐため藩主に築堤を願っても、受け入れてもらえず(築堤すると他の地域が水害になるという話で)困った村人が、夜間にこっそり女性だけで堤防を築いたというもの。(資料館で詳しく説明をしてくれます)当時の女性は本当に苦労しただろうな…男尊女卑だっただろうし、たくさん働いて…。きっと夜間堤防を作る前の昼間も畑仕事や家の仕事、育児、色々あっただろうな…と少し考えてしまった。

旧道をさらに進むと、中冨田の一里塚へ。

その先安楽川にかかる和泉橋を越える。分岐になるようなところには、目印になるものがあるので迷わず行けました。

途中の井田川駅でトイレ休憩。東海道旅をしているとなるべくお手洗いに寄れるときには寄るようにしています。(全然ない場所が何キロもあるところもあるので)駅の自販機にスタミナドリンクがあり、だいぶ足も疲れてきたので購入して表示版などを見つつちょこっと休憩。

短い休憩後さて、とまた歩き始める。あまり休憩を長くとると逆に疲れてしますので、程よく休みます。 旧道の先には和田道標。

おそらく亀山宿にはもう差し掛かっていそうで、マンホールも亀さん。

本陣跡やなにかは、ちょっと民家や人が写真に写ってしますので撮らず、亀山城大手門跡をパチリ。

その先にある亀山宿の問屋場跡の下にある碑で本日の終着点としました。

宿を津駅で取っていたので、(亀山にも宿はありますが、サウナに入りたくて良く泊まるドーミーインが津にあったのでそこにした)亀山駅に向かい、津駅の駅前でうなぎ丼を食べました。


チェックイン後のんびり温泉とサウナを楽しみ、翌朝も自然に目が覚めて朝風呂、朝サウナ後たっぷり朝食を食べてから出発。


昨日の終着点の先、坂をのぼったところに問屋場あとがあります。

さて浮世絵の亀山宿はこちらです

浮世絵に描かれている城の門は京口門。なので現在との比較写真は京口門跡を映しました。

亀山宿から次の関宿までは5.7キロ。1時間半くらいでしょうか。向かう途中に趣のある建物がたくさんあります。


中に入って、説明を聞くことも出来るので1軒だけ立ち寄り、昔は呉服屋を営んでいたという明治の頃からある建物を見させて頂きましたが、お庭に茶室もあり、とても素敵な建物でした。館内の方の説明を聞きながら「素敵ですねぇ‥」を連呼してしまった。東海道を歩く人は多く、ほとんどが私のように宿場を終着点、始点として何度かに分けて旅をするのだと思いますが、中に1人だけぶっ通しで(宿は取っていると思いますが)歩いてきた人が1人だけいたそうで、15日で亀山宿まで来たそうな。あとは友人と都合のあう日にちを決めて53次を歩いた3人グループもいて4年かかったそうです。私も犬さんの介護やコロナの影響もあり、途中旅をお休みしていたので、かなり時間はかかっていますね。

先を進むととても立派な一里塚があります。「野村の一里塚」

一里塚のムクの木は樹齢400年。江戸の頃より現存しています。溜息が出るほど立派なムクの木でした。やがて旧道はJRをくぐり、高速道路の高架をくぐります鈴鹿川と並走するような感じで歩き、田畑の脇を進んでいき、JR関西本線をまたぎ小野川橋を越えると関宿の看板が見えます

関宿は景観保存地区になっており、宿場には当時の面影が色濃く残されています。東の追分から先、街並みが素敵です


宿場の入り口でちょっと珈琲休憩を取りました。


休憩後、関宿をのんびり散策。

宿場の街並み、本当に素敵でした。宿場の中には資料館もいくつかあり有料で観ることが出来ます。浮世絵の関宿は、本陣から出立する様子が描かれていました。

現在の様子はこちら。

さて、関宿到着!という事で今回の東海道53次旅の終着点とする事にしました。

ちょうどお昼だったので、宿場の中で食事を取ることに。いくつかお店は開いていましたが、目についたみそ焼きうどんを食べる事に。

味が濃い目で美味しかったです。食後の休憩に、と近くにある小萬の湯(足湯)へ行き、足を温泉でじんわり温めてから帰路に向かうことにしました。

足湯ってぬるめなところが多いのですが、こちらはしっかりと熱くてとっても良かったです。

東海道53次の旅も残すところ宿場は7つ。あと少しで旅も終わりを迎えます。少しせつないけれど、東海道の旅、もう少し続きます。