2016年12月31日土曜日

今年も1年ありがとうございました。

平成28年 最後の更新。

今年も1年ありがとうございました。

今日は朝早めに起きて部屋の中を軽く掃除した後、(大掃除は前もって終わってます)シーツやら掛け布団カバーやら 大きなものを洗濯。

その合間にランニングがてら買い出しへ。


3駅ぶんくらい走って(5㌔ほど)大きめの駅ビル地下の鮮魚売り場へお刺身を買いに行ったんですが、何種類か盛られているお刺身が欲しかったんですが高くてあきらめました。
買ってもいいんですが・・・食べるの1人なのに大きすぎました。
電車で最寄り駅まで戻り、今度は洗濯物をコインランドリーへ。
乾燥機でぐるぐるぐるぐる・・・

年末なのもあってコインランドリーは賑わってました。

更にその後、まだ何も食べて無かったので くるくる寿司へ。

5皿程食べて、本屋さんへ行き スーパーに寄って帰宅したのち、さくぽんとお散歩。

そうそう、スーパーで福引を引いたら3等が当たって500円現金でもらいました。


その後 お風呂に入って今缶ビール片手に御蕎麦を食べつつ更新してます。

今日は1日ジャージで過ごしてました(笑)

***

今年も色々あったようで 何もなかったような なんだかそんな1年でした。

今年はさくぽんが春からヘルニアを患ったのもあり、心配ごとの多い1年でした。

手術もして、回復に向かって頑張ってくれて 今では元気に膝に乗ってるのでほっとしています。

杏は相変わらず(笑) いつも元気ににゃーにゃー おしゃべりしてます。

プライベートでは旅行もちょこちょこ行けて美味しいものも食べて 温泉も行けたしとてもよかったです。

そして東海道が半分踏破できたのも良かった。

旅先で色んな人とお話をして、色んな景色を観て思いを馳せたり 充実してました。

来年もこんな感じで過ごしていくんだろうと思います。

***

この1年 ブログを見てくださっている方、ありがとうございます。
つらつらと 思っているまま書いているので”読み物”的な要素はあまりないと思いますが、これからも見て頂けると嬉しいです。


それでは、良いお年を。 




2016年12月27日火曜日

14歳になりました。

今日は愛犬さくぽん 14歳の誕生日



ヘルニアだったり、心臓の病だったり 心配事はつきないけれど14歳のお誕生日を迎えることが出来て本当に良かった。

これからも もっともっと 健康を保ちつつ、長生きしてほしい。

今日はさくぽんDAYだったので ずっと一緒にくっついて過ごした。

家にいる間は、お風呂に入ってるときは脱衣所の近くまで来て寝てるし、こたつに入っていても膝にのってるか 足元に寄りかかっているかでだいたいくっついているので 文字通り、くっついて過ごしました。

今日はお昼寝も一緒に。眠ってるいるとき、さくぽんの寝息が聞こえてくるとほっとします。

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誕生日なので犬と人間で一緒に食べられるケーキを注文。





シンプルないちごのケーキを買いました。

来年も一緒に食べようね、と話しつつ穏やかな誕生日となりました。


2016年12月21日水曜日

日帰り弾丸旅 松江

そろそろまた どこか行った事の無い場所へ行きたいな・・

オフィスでパソコンのキーをひたすら叩きながらぼんやりと考えていましたが、行き先を決め 飛行機の予約をして旅に行ってまいりました。

行き先は島根県 松江。

少し前に日本橋で映画を見た帰りに島根県のアンテナショップに立ち寄った際、島根県は行ったこと無いし・・行ってみたいなぁと 松江のパンフレットを頂いてきた事もあったので 行き先はすぐ決まりました。

***

朝4:45分に起床。

寝ぼけつつ さくぽんと杏の食事の支度をして 御留守番をお願いしつつ、まだ暗い中出発。
羽田空港に着くころはだいぶ明るくなってましたが睡眠時間が4時間しか取れなかったため、ぼんやりした顔で出発ロビーから行儀よく並んでいる飛行機を見てました。

行き先は米子空港。

霧がすごい為、条件付きでの出発。着陸出来ない場合、鳥取か伊丹へ着陸するかもしれないとアナウンスされていました。
「松江に行くつもりなのに、鳥取でおろされても困るなぁ・・・ でもそうしたら鳥取観光しようかな」と思って搭乗しましたが、飛行機は無事 米子空港に到着しました。

日帰り弾丸旅をするときは、あらかじめ下調べが大事です。
日帰りの為、時間が少ないので移動手段や料金、時刻表 色々調べてから行きます。

米子からバスに乗って、松江駅まで。松江駅までは45分で到着します。



松江駅に向かう途中 中海を通って行くのですが 霧がかかっていて 朝もやの中神秘的でした。

松江に着いたらまず最初に向かったのは、八重垣神社。えんむすびで有名です。

八重垣神社へは松江駅からバスで向かいます。あらかじめ調べていた4番のりばにちょこんと並ぶ。
知らない土地でも ちゃんと目的地まで行けるようになったなんて 大人になったなぁと 今更ながら思いました。

バスにゆられて15分くらいでしょうか、八重垣神社へ到着。



八重垣神社では御朱印も頂きました。


左側の御朱印が八重垣神社の御朱印。

御朱印を頂いたのち、そうそう、紙を池に浮かべるおみくじみたいなのがあるんだ。
と、100円を木箱に入れて紙を頂いて本殿から奥の森の中にある「鏡池」に向かいました。


森の中はまだ時間が早い事もあるのもあって人があまり居なく静か。

鳥の声と木々の匂いが心地よいです。


こちらが鏡池。


頂いてきた紙をそっと水につけて、真ん中におかねを置きます。

早く沈むと 良縁が早く来て 沈むのが遅いと良縁も遅く現れるそうです。

さて、水に紙が沈むまでの間静かに祈るそうなので、私も心で御祈りしつつ紙をみつめていました。

「これ・・・なかなか沈まないな・・・・」

私の後から4人ほどが来て同じように紙を池に浮かべていましたが、なぜか私の紙はいつまでたっても沈まず、後から来た4人はみんなどんどん沈んで行ったんですが、結局誰も居なくなってからようやく、少しずつ沈み始めました。

先に池に居たのに、後から来た人が先に帰っていくあのせつなさは、確かに 友人がどんどん結婚していき、最終的に独身のまま残った ソレと似ている雰囲気でした。

もうネタでしかない・・・と 一人笑いしつつ 池を後にして 次なる目的地へと向かいます。

***

またバスに乗って 今度は「しんじ湖温泉」へ。

大の温泉好きなので 旅に温泉は外せません。

前もって調べていた日帰り入浴が出来る施設の最寄りバス停で下車し 温泉の前にあまりにも空腹だった為(朝ご飯を食べて無かった) お蕎麦屋さんへ向かいます。

時刻は11時。ランチタイムで混む前にお店に入れて良かったです。

割子蕎麦を注文。


運ばれてきて、どうやって食べるんだろう・・・と 思っていたら お品書きの横に食べ方が書いてありました。

まず、蕎麦つゆを1枚目の薬味と共にまわしかける。(かけすぎると しょっぱいらしい)

1枚目を食べたら同じように2枚目に1枚目ののこりつゆと共にまた薬味とつゆをかける。
3枚目まで食べたらつゆを 湯のみに入った蕎麦湯に入れて飲む。

ふむふむ。

書いてある通りにやってみる。

食べてみると 美味しい! 久しぶりに美味しい御蕎麦食べたなぁ と感激。

つゆの濃いのが好きなので、盛りそば だと段々つゆの味が薄くなって嫌なんですが これはそんな事も無く3枚目まで美味しいまま完食。

蕎麦湯もしっかり飲みほしてきました。

おなかも膨れたところで ゆっくり歩きつつ温泉へ。

宿の方にタオルを貸していただき、浴場へ。温泉は松江ニューアーバンホテルの別館で1000円で入浴出来ます。

浴場へ向かうと 1番のりだったため他に誰もいませんでした。


露天はありませんが、浴場の窓の向こう側は宍道湖がどーんと見えます。

温泉に身をばーんと投げ出しつつ日頃の疲れを癒すのです。

一人だったので 鼻歌を歌いつつ 湯船にゆっくり浸かる。

だいぶ体がほぐれた感じなところで湯船からあがり、まだ他にも回りたいところがあるので いそいそと支度をします。

今回の旅の滞在時間は7時間で空港から往復で約2時間とられてしまうので実質5時間ほどしか時間が無いので結構 あわただしいです。

ホテルを後に、今度は松江城方面へ向かいます。

途中、美味しそうなコロッケを売っているお肉屋さんがあって、コロッケを買い食い。


あつあつで美味しかったです。


***

今回の旅の目的は「松江城が見たい」なので、わくわくした気持ちで歩きつつ、城に着く前に 松江城の周りの堀で船に乗れるんですが、乗船場が先に見えたので 城に入る前に船に乗ることにしました。

乗船チケットを買って、名前を呼ばれたので 船へ向かいます。

「ラッキーだね!貸切だよ!」と船頭さんに言われて 「やったー!」と言いつつ乗船。

船頭さんにご挨拶をして船の説明をうけます。

堀川めぐりの船は途中低い橋の下を通るので 船の屋根が低く動くのです。
こんな感じに動きますからねと あらかじめ高さの確認というか どんな感じかを体感してから出発します。

堀川めぐりはゆっくり1周まわって50分ほど。


ゆっくりと船は進みます。


松江は水の都と呼ばれるだけあり、張り巡らされた堀が昔の風情を残しています。


途中野良ネコさんのお散歩を発見。 松江の猫さん こんにちわ。


船に乗りながらずっと船頭さんとお話していましたが、船頭さんが本当に面白いかたで終始笑って過ごせました。


船頭さんが写真を撮ってくれました。

この船、中がこたつであったかいんです。 これでビールとかあったら最高なのですが、船内は飲食禁止でございます。

また、橋の下を通る時はぐーっと屋根が下がります。頭を下げないといけません。


橋すれすれ!

こんなに下がります。

以前「ブラタモリ」の松江の回でタモさんもこの船に乗っていましたが、屋根の下がり具合にだいぶ驚いてましたが、これは確かに驚くかも。

余談ですが、ブラタモリ放送後、TVの効果があってか船に乗る観光客が一気に増えて、全然休みが無かったと言ってました。

「もう、年金暮らしで 夜は飲み屋さんをやっていて、昼はバイトみたいな感じで週3回程 船をやって あとはゴルフとか好きな時に好きなことやりたいんだよね~ もう第二の人生満喫中だから」
とおっしゃってたので 「いいなぁ~ 私も早くそうなりたんですけど・・・もう働くの疲れちゃって」とつい本音を言ってしまった。

ところどころ、町の見どころなど解説してもらい あっというまに1週廻って乗船した元の場所へ到着。 本当に楽しかった。

最後に名刺を頂いたので、次にまた松江に来たらまた同じ船頭さんで乗りたいなぁ。 

***

さて、船を下りるといよいよメインの松江城がまっています。



国宝松江城。

美しい・・・・・

別名千鳥城とも呼ばれているそうですが、確かに鳥が羽を広げているようで とても美しいお城です。

さっそくお城の中に入ります。



城の中にはブラタモリでもやっていましたが、2枚の祈祷札があり慶長16年の銘が決め手となって松江城の築城時期がわかり国宝指定となったそうな。


天守閣からの眺めは 宍道湖が目の前に広がり しばし藩主の気持ちになって眺めていました。

最上階へ至るまで5階あり、それぞれの階に展示物があります。
ゆっくりと城の中を見て回りました。


松江城は窓枠の木部が黒塗りとなっているため、黒が基調となった城。
しぶいです。


入り口にはりっぱな松の木が植わっていますが、松とのコラボレーションがまた良いです。

今日はとても良い天気で、晴れの中 松江城がみれて良かった。

山陰でこの時期こんなに晴れるのはめずらしいよ、と船で船頭さんが言ってました。

だいぶゆっくり松江城内を見ていたので、時間が刻々とせまってまいりました。
帰りの飛行機の時間もあるので松江駅を16:10に出ないと間に合わないのです。

城を出て、ぐるりと昔のたたずまいを残す「塩見縄手」を歩き、バス停へと向かいます。



堀沿いには松が植わっていて景観が良く、歩くのにとても気持ちがいいです。



武家屋敷にも行きたかったのですが、現在工事中で入れませんでした。
残念。

途中、御土産をかったりしつつ バス停へ戻り そこからまた松江駅へ。

滞在時間が短すぎて もっと見たいところも色々あったんですが、本当に弾丸旅になっています。


松江駅には15時過ぎに到着して空港までのバスが16:10発なのでそれまで、近くにある神社を2つ御参りしました。


払い清める女性の神様ハヤキツヒメがご祭神の売布神社。

駅から徒歩10分位でした。

こちらでも御朱印を頂きました。



そして出世稲荷へも参拝。(写真は撮ってません)

出世はしなくても良いんだけど、給料があがりますように・・・・ と祈る。

その後駅へふたたび戻り 空港までのバスに乗り込み米子からまた羽田へと帰ってまいりました。

途中、宍道湖の夕日ではありませんが 中海の夕日もとても綺麗でした。



そんなこんなで日帰り弾丸旅 松江 これにて終了。

今回の旅は本当に弾丸でした。 出来たら1泊して出雲大社まで足を伸ばしたいところですが、愛犬さくぽんを連れての遠くへの旅路は無理なので、どうしても日帰りになるので仕方ないですね。

弾丸でしたが、とても充実した旅でした。 
次回松江に行く時は 海の幸と 蒸し寿司、うなぎもぜひ食べたいです。

松江城、観れて良かったなぁ・・・ 最近お城がとても好きで 先日の東海道53次では掛川城を観れなかったのも心残りでしたが、今回はじっくり観れました。




次回は春頃 弾丸旅をする予定です。


おしまい。

2016年12月5日月曜日

東海道53次ノツヅキ⑬

東海道53次ノツヅキ⑬

~金谷宿から日坂宿、掛川宿をへて袋井宿まで~

前回のお話はこちら

東海道53次のツヅキを歩いてきました こんにちわ すずです。

前回は10月中旬でしたので約1ヵ月半ぶりです。

いつものように「ぷらっとこだま」で東京駅から静岡駅まで新幹線のチケットをとりました。

朝、暗いうちに家を出て 6時半のこだまに乗車。前日は残業をしたので、とても眠い。

今回は新幹線の中で睡眠はとらず、スマートフォンをいじったりしていたらあっという間に静岡に到着。 今度は鈍行の浜松行きに乗り換えて金谷駅まで。

金谷駅で下車して 準備運動をしたのち、本日のスタートとなります。

金谷駅のガード下をくぐり、西へ。

ふと見上げると真っ青の空のなかに飛行機雲の白いすじ。


なんとなく、トクした気分になりつつ 今日の旅路も楽しくなりそうだと 意気揚々と歩きます。

道なりに進んでいき、少し大きめの通りに出ますがその先の道標があり 迷いません。

まず最初にたどり着くのが「石畳茶屋」


こちらでは、ランチなども取ることが出来るようで 時計をみると9時前でまだ開店はしてなかったので写真だけ撮り先に進みます。

石畳茶屋から、金谷坂の石畳がはじまります。


箱根越えでだいぶ鍛えられた石畳の道、さくさくと歩いていると突然スマートフォンから警報が鳴りました。画面を見ると「大規模な地震が発生」と標示が。
町内放送もなり始めて 私の少し先を歩いていた夫婦の方に「あの 警報なってますね」と聞くと「ああ、これ訓練だから。今日は一斉訓練の日なんだよ。本当の警報だったら逃げてるよ」と言われて「ああ、びっくりしました!良かった」と一安心。

どうもありがとうございます と挨拶をして 先に進ませて頂きました。


ぐんぐん歩いていきます


途中、すべらず地蔵尊があったので「石畳ですべりませんように」とお祈りしました。
(石畳は歩きやすいようにみえて、実は歩くにくく復元された石畳はまだ歩きやすいですが古くからの現存のものはコケが生えてたりしてすべったりします。雨の日、雨上がりなどかなりすべるのです。)

石畳の坂を登りきると、右手側に進みます 途中に諏訪神社と諏訪原城跡がありますが 街道より少し奥側にあるので寄らず、その先の菊川坂の石畳へ入ります。

菊川坂の石畳は調査の結果江戸時代後期のものだとわかったそうです。

古くからある史跡、後世にも伝わっていくと良いなぁと思いながら歩く。頬にかかる風がすごく気持ちが良くて足を止めると すすきの穂に高い空。 秋だなあ・・・と実感。



本当にとても気持ちの良い日でした。

間の宿 菊川に差し掛かるまでに何人かの人に会いましたが、みなさん私が声をかけるよりも先に挨拶をしてくださって ここまで来る前に出会った人、すべての人と気持ちよく挨拶が出来ました。

途中であった地元のおじさま方に「今日はどこから?」「京都まで歩くんでしょ」と聞かれ、今日で13回目な事と、この先 袋井まで行きたい事を話したら、「まだこの時間だもの、行けるよ」「この先、あと1回きつい坂あるからね」「道中気を付けてケガしないようにね、頑張れ!」と応援してもらって とてもうれしかった。

全く知らなかった土地を一人で歩いているので、声をかけてもらう事で本当に安心出来るというか、とても力づけられるのです。それもみなさん笑顔で接してくれるので本当に嬉しい。

茶畑で農作業している方も、ふと横を通り過ぎる原付に乗ったおまわりさんも、みんな「おはようございます」「こんにちわ」と声をかけてくれて 挨拶することって大事なんだなって改めて思ったし、やっぱり静岡の方はとても優しく 素敵だなぁと思いました。

***

道はなだらかに下ったりして、また歩いている途中には道標もあるのでわかりやすいです。



「間の宿 菊川」

間の宿とは宿場と宿場の間にある宿のことで、宿場から宿場の間が長かったところや、宿場との間に難所が多い場所などは 間の宿があったようです。しかし、間の宿では旅人の宿泊は禁じられており 菊川宿でも金谷宿の許可が無いと、旅人の宿泊は出来なかったとか。

菊川を抜けると、道は次第に急こう配の上り坂になります。

途中でみつけたみかんが美味しそうでした。



少し、息をあがらせながら ふと 顔をあげると 山にかこまれた中に茶畑。




吹く風は心地よく、ふっと息をつきます。

更に歩いて行くと、江戸時代創業の茶屋「扇屋」さんがあります。


店先でこどもが遊んでいたので「おはよう」と声をかけると恥ずかしそうに「おはよう」と言ってくれました。可愛い。この茶屋では名物「子育て飴」があります。
今回はザックがとても小さいもので来ていたので御土産用には買わず、御挨拶のみで茶屋を後に。

峠を歩いていると、向こうの峰に「茶」の文字が見えました。


更に先に一里塚。


またこの小夜の中山峠には 沢山の歌碑があり、途中 途中 読みながら歩いていましたが、峠を越えることの大変さを詠んだ歌碑もあり、西行法師が69歳の時に詠んだ「年たけてまた越ゆべしとおもひきや命なりけりさやの中山」の句碑を見て 69歳でこの峠越えをしたなんて・・・と健脚さにびっくりしつつ先を歩くのでした。

ちなみに現代語訳はこちらです

「年を老いてからまたこの峠を再び越えることが出来ると思っただろうか、いや思いはしなかった。小夜の中山を越える事が出来るのは命があるからこそだなぁ」

***

歩いていると団体様 3組と遭遇しました。

東海道53次のツアーの方々です。私は一人で歩いていますが、ツアーだとガイドさんの話を聞けていいなぁと思います。

団体様の中の一人の男性と少し話をしましたが、今日で18回目でここまで来て、来年の12月に終わるツアーだそうで、1日6キロ程度しか歩かないのでなかなか進まないと言ってました。
私が一人で歩いている事を知ると少しびっくりしてましたが、「この先の道中もケガせず、頑張ってくださいね」とやさしく送りだして頂きました。

団体様の先をいかせてもらって、少し下り坂のところは走りました。 今回もトレラン用のシューズで来たのでてってこ走ります。


さて、歌川広重 東海道53次「日坂」


小夜の中山峠の途中にある「夜泣き石」に旅人が足を止めています。

夜泣き石はここで臨月の女性が山賊に殺され、その時赤子を産み落としましたが、赤子を思い泣く女性の魂がこの石に乗り移り夜ごとに泣き声を上げたと言い伝えがあるそうな。

現在の様子がこちら。


本当だと峠の方向に写したかったのですが、団体様が写っちゃうので峠を抜けた方向をパチリ。

夜泣き石跡はいまでは街道の端にありますが、当時はこの街道の真ん中に石があったようです。


さて、どんどん先を進みます。

この先には、曲がりのある急な下りもありつつ日坂宿へとたどります。

屋号を残す家も多くあり、屋号の立て札をたくさんみました。


常夜灯を目印に、本陣跡へ至ります。




こちらは本陣跡。


このあたりの街道は古い面影を残し、各家々には屋号の立て札もありました。


中を見学できる旅籠もありましたので 少しおじゃまする事に。



中は結構広いです。


奥の階段から2階へも上がれました。



旅籠、本陣は現在では跡のみある場所が多い中、旅籠の中までみれたのは感激。

旅籠を出ると高札場も。


この高札場のところに旅籠「川坂屋」もあるのですが、団体様がいらして中に入れずそちらは断念・・・。 さて、時刻はお昼少し前。そういえば 朝ごはんを食べれなかったので、おなかも空いています。

パン屋さんを発見したので、入ってみることに。



クリームの入ったパンをひとつ購入。


お店の御主人に、今日はどこまで?と聞かれたので、「袋井宿まで行く予定です」と答えたら、「少し前に男性の一人の方もいらしたけど、浜松宿まで行くと言ってたよ」 と聞いて「本当ですか!?」とびっくり。 確かに途中 東海道ランナーとすれ違いました。 それにしても、今いる日坂から浜松まででも38.8㌔あります。 どこからスタートしてるかは不明でしたが、途中峠も越えてるのに凄い!

確かにすれ違った時に年配の方でしたが、すごく体格が良くて無駄な肉なんて無い感じでした。
私も最近さぼりがちなランニング、ちゃんとやろう。と思いつつ お店を後にし、ちょっと御行儀が悪いのですが、他に道を歩く人も居なかったので買ったパンを食べながら歩きました。

パンを食べ終える頃に ことだまの社、「事任八幡宮」に着きました。



参拝しようとあらかじめガイドブックに記しをつけていた神社なので早速参拝を。

境内の中の銀杏が葉を落として黄色い絨毯が出来ていました。



こちらでは御朱印も頂きました。


***

事任八幡宮を後に 西へ歩みを進めます。

ここからは平たんな道を進むので、少しランニングしながら向かいました。

掛川バイパスを越え更に進む。


目印となる伊達方一里塚。

旧東海道は掛川バイパスと並走するように西へと続きます。

途中、国道1号線と合流し 馬頭観音(小さい祠があります)を目印に左手へ逸れ また旧道へ。やがて葛川一里塚をへて掛川宿へと至ります。



葛川一里塚手前に街道名物「振り袖餅屋」がありましたので掛川の「食」とすべくお土産に1パック小さいのを購入。


その先、道がわかりにくいですが 新町「七曲がり」へと入ります。

七曲がりはこの先の掛川城、城下に安易に敵が入ってこれないよう宿場に造られた入り組んだ道ですが、なぜか私も地図を持っているのにもかかわらず、安易に歩けず 迷いました。(笑)


七曲がりを過ぎると掛川城大手門があり、本陣跡があるはずなのですが・・・・


こちらは大手門。

なぜか、「連雀沢野屋本陣跡」も「中町浅羽屋本陣跡」も両方見つけられず、しばらく 散策してみたのですが結局見つけられなかったので、付近のお店で茶蕎麦を食べました。


もっと時間があったらぜひ掛川城を見学したかったのですが、袋井宿まではまだ先なのでうしろ髪をひかれつつも先を歩く事に。


少し小さい写真ですが天守閣だけパチリ。

かつての宿場町はこのあたりだったと思われる場所もパチリ。


西へ西へと歩くと右手側に円満寺。

常夜灯を目印にやや右曲がりにカーブ。一応、道標もあります。


「平将門十九首塚」がありますが、なんとなく怖いので見ないで先に進みます。

だいぶ日が傾いて来て、少し不安になります。 「明るいうちに袋井宿までたどりつくんだろうか・・・・」 ここまで歩いてきた疲れもあり、足の裏も少し痛くなってきました。

さてさて 歌川広重 東海道53次「掛川」。浮世絵はこちらです。


秋葉詣の旅人が描かれていますが、現在の様子はこちら。


こちらは大池橋を写したものですが、浮世絵の橋は塩井川に架けられた橋。大池橋は倉真川に架かる橋なのですが、浮世絵の橋が現在では場所がどこなのか定かでは無かったのと 大池橋のたもとには秋葉山本宮秋葉神社へと続く道へと出るので大池橋からの展望を現在の様子として写してきました。

大池橋を渡り、左手へと進みます。

道なりに行き、目印の大池一里塚跡を過ぎ、掛川バイパスと東名高速道路を越えます、すると間の宿「原川」へと出ます。



原川の先、国道1号と交わり原野谷川に架かる同心橋を越えるのですが、国道1号と交わる際 地下の歩道から左手側へ進まないと、旧道には入れません。




こちらは原野谷川。 たいぶ日は傾き ますますあせります。東海道を歩く時は冬の間はヘッドライトが必要かもしれません。暗いと地図が読めないので。

橋を渡り、左手へと進む。

なんとなく旧道の名残のある風な道なのですぐわかりました。

東海道をずーっと歩いて来て、たまに道がわからなくなる事はあるものの、「ここが旧道だな」というものがわかるようになってきました。

道の幅とか、雰囲気とかでなんとなくわかるのです。なので方向音痴な私も以前は地図をくるくる回したりしたのですが 最近ではそれもしなくなってきました。(とはいえ、いまだに迷う事もあるのですがそれもこのあと、盛大に迷います)

旧道を進むと右側に赤い大きな鳥居が現れます。



街道は東海道らしく、松並木が続き しばし昔を思いつつ 歩きます。

久津部一里塚跡を過ぎ・・・


ようやく袋井宿への道標までたどり着きます。


「あともう少し・・・」空を見上げると 夕方の空に飛行機雲。


朝一番で飛行機雲を見て、今日の旅の終わりもおなじように飛行機雲が見れるなんて、なんだか面白いなぁ・・・ とぼんやり思いつつ、もう少しだ、と 疲れた足を動かします。

と、ここでまさかの道迷い。

ちゃんと道標も見ていたのに、疲れてたからでしょうか 道を逸れてしまって 「あ、たぶんここ間違ってる」と気づき、あわてて引き返してきました。

だいぶ間違ってしまって 先ほどの道標までもう一度戻り再スタート。

目印となる建物を何度も確認しつつ歩きます。

あたりはすっかり暗くなってしまいました。 民家も灯りをともしています。
知らない土地で暗い中 とぼとぼと歩く。 泣きたいような 切ない気持ちです。

「あそこになんか道標がある・・・」そこまで行ってみると、ようやく袋井宿の左端へとたどりつきました。


写真では明るく写ってますが、周囲は普通に夜の暗さです。


そばに「どまん中茶屋」もあります。 もちろん、もう閉まってるけど・・・。
時刻は17時頃でしょうか、今時期だとすっかり夜ですね。

最後に 歌川広重 東海道53次 「袋井」 浮世絵はこちら。


奥に見えるのは宿場。 宿場の手前の茶屋で茶をすすっている旅人が描かれてます。

現在の様子はこちら。


ちょっと方角的にあってるのかあやしいので次回の東海道53次でもう一度ちゃんと見てきますが、この写真を最後に 今回の東海道53次は終えることにしました。

今日は金谷宿から日坂宿まで6.5㌔、日坂宿から掛川宿まで7.1㌔、掛川宿から袋井宿まで9.5㌔の合計23.1㌔を歩きました。

途中の浜松まで行くと言っていたランナーさんはたどり着けただろうか・・・ あの走りを見た感じだとずっと時間も早い時間について、ひとっ風呂あびた後に浜松餃子とビールで乾杯してるかもしれないなぁ・・・なんて思いつつ、駅2つを戻り、掛川から新幹線でビールと駅で買ったパックのお寿司をつまみつつ、私も家路へと向かいました。


***

さて 東海道53次、無事袋井宿までたどりつきました。

袋井宿がちょうど真ん中なので、東海道53次半分踏破!

たくさん歩きました。

旅はまだまだ続きますが、半分歩いただけでも 色んな事があり 美味しい食べ物も 美しい景色も沢山思い出せます。

ここまで歩いて来て本当に楽しかったし、歩けて良かったと思います。

西行法師じゃないけれど、ほんとうに命あって 健康な体があるからこそ 旅が出来るんだと改めて思います。

東海道53次のツヅキ まだまだ 続く。