2015年10月25日日曜日

東海道53次ノツヅキ④

前回のお話はこちら

東海道53次ノツヅキ
~平塚宿から大磯をへて小田原宿まで~

東海道を歩きはじめて4日(4回)目。今回の目標は小田原宿。
予定していた通り、10月中に小田原まで進めそうで安堵しつつ、朝は5時に起床し、6時前の電車に乗り込みます。東京駅から東海道線へ乗り換え、平塚へ。朝7:30過ぎかな 平塚駅へ到着。
前回の終点地まで向かいます。
歩きはじめる前に、またもや平塚駅のモスバーガーでベーコンエッグバーガーを1つ購入し食べました。朝のファーストフードが毎度の事になりつつあります・・・普段ファーストフードやインスタント食品は控えてるのでたまには良いよね、と自分への言い訳込み。


前回は逆光でしたが、今回は早朝の為 高麗山も綺麗に見えます。
平塚宿から大磯まではおおよそ3㌔(短い!)国道1号をまっすぐ進みます。



途中、平塚宿の本陣跡、脇本陣跡もありました。本陣と脇本陣については前回の記事に書いた通りで、大名の宿泊していた宿、また予備として普段は一般への宿泊としても利用されていた宿になります。


これは、問屋場跡。
問屋場とは宿の公用を行う場の事で、幕府の為に人足、馬、宿場の手配、飛脚の管理など色々やっていたようです。

少し先へ進み花水橋へ入る手前に、広重の浮世絵のパネルを発見。
案内板を読むと、(前回見つけられなかった)浮世絵の平塚宿を描いた場所との事。
それがこの写真。


実際の浮世絵はこちら。


確かに! なんとなく雰囲気が同じ。ずっと浮世絵と現代を比較しつつ、記事を書いているので非常にすっきりしました。

***

しばらく進むと高麗神社があったので今回の旅の最初の参拝をさせて頂きました。



東海道53次を歩くにあたり、沢山の神社やお寺がありますが、なるべく歩き始めには神社で参拝をするようにしています。神様へご挨拶というかお参りをしてから歩くと気持ちが良く歩ける気がします。

街道沿いの松をみつつ



その先、化粧坂を下ります
化粧坂に入った先にひっそりと虎御前(鎌倉時代の遊女)の化粧井戸があります。



この井戸で虎御前は髪をといたり、身支度をしたそうですが、井戸だけ写真に撮ると何だか怖いので案内板も一緒に撮りました。

化粧坂を過ぎ、東海道線の線路を横断するとまた1号線にあたりますが、1号線から少し入ったところに日枝神社があります。


こちらの神社でも参拝をさせて頂き、また1号線へ戻ります。
さて、この1号線の付近、ここからがかつての大磯の宿場町となります。

こちらが広重の浮世絵の大磯


こちらは現在の様子となります。


もう少し手前の方が宿場の入り口なのですが、あまり人の居ないのを見計らって写真を撮ったので少し先の位置から。
やはり、当時は偲べないのが残念ですが、大磯宿には寛文4年の頃、西行法師を記念する為に名付けられた鴫立沢、当時小田原の崇雪という人が石仏をこの地に運び庵を結んだとされていて、鴫立沢の票石も鴫立庵の中に現存するので、江戸の頃も庵があったかと思うと感慨深いです。その話はまた後ほど。

平塚宿から大磯宿までは本当に近く、まだ元気がありあまっています。

さて今回最初の宿場町、「食」をどうしようか考えます。
とはいえ、先ほど朝ごはんを食べたばかり、さほどおなかは空いていないし、何しろ朝早いので、お店が開いているのか・・・
ふと見ると1号線に沿って、和菓子屋さんがありました


見てみるとお店は早い時間から開いているようで、中に入って饅頭と最中を一つずつ購入。

大磯は海岸からもとても近いので、海でも観ながら饅頭でひと休みしようと、歩きはじめます。
鴫立庵の脇の歩道より海岸に出れるので、向かいました。


海ーっ。
釣り人がちらほら居ましたが、全体的に人はあまりいなく 太陽の光を受けて輝く波、浜、とても気持ちが良いです。

テトラポッドがあったので腰掛けて、しばし一休み。


先ほど買った饅頭を頂きます。

海って、見ているだけで癒されるのは何でなのだろう・・ とか思ったりしつつ饅頭をぱくぱく食べます。


砂浜アートもしてみました(アートって・・・笑)
しばらく海を見ていましたが、次の宿場町 小田原でのんびりしたかったので、後ろ髪をひかれつつ、海岸を後に。

また1号に戻りますが、鴫立庵があるのでそちらにも少し寄りました。
ちなみに大磯宿の宿場まちの西の外れは鴫立庵を出たところとなります。


こちらが鴫立庵。入館料100円です。
受付で100円をお支払いし、係の人にパンフレットを頂いて、さらっと庵の中を見て回りました。
結構沢山人がいて、あまりじっくりとは見なかったんですが、墓碑、句碑、石仏の五智如来を拝見させて頂きました。

庵を出て、小田原宿へと向かいます。
小田原宿までは15.6㌔。

歩いているより、実は走った方がつらくないと常々思っていたのもあって、今回はランニングシューズで来ました。

10㌔歩くのと、10㌔走るのとでは実際、走った方が楽だと思います。
カロリーの消費量はほぼ同じなのに、不思議ですね。



ご当地マンホールの「大磯」。

東海道をゆっくり楽しみつつ、「周囲に何も無くひたすら続く東海道」部分を軽く走る算段です。

***

さて庵を抜けて、1号をまっすぐ歩いて行きますと海岸地帯には明治時代のかつての名士の邸宅や別荘が数多くありますが、興味が無いのでスルーしてしまいました。

旧東海道は途中1号線から逸れて、また合流するのですが途中で道を見失ったりしつつ、歩きました。
西湘バイパスと平行して進む1号線。
もう少し相模湾側にあれば海を見つつ、歩けるのになぁ 昔はきっと海を見ながら歩いたんろう、と思いながら歩みを進めます。
気が付きました。「これは、ひたすら続く東海道パターンだ」と。

とりあえず、地図でみると小田原の境、押切坂一里塚が先のほうにあるみたいなので、そこまで走る事に。

途中、東海道ランナーや東海道walkerにすれ違いました。東海道ウォーカーはみんな本を片手に持って歩いているのですぐ分かります。
みんな同じ本を持っているようで、(私の持ち歩いている本とは違うが私も同じ本を持っている)つい、話しかけたくなるけど まだお話するには至らず、追い越し際にちらっと見つつ、走りました。

天気が本当に良くて、少し走っただけでも汗だく。
せめてランニング用のTシャツを持参すれば良かった・・・と後悔。

コンビニで水分を補給しつつ走りました。

ほどなくして一里塚に到着。


押切坂を下り、橋を渡ります。


橋の上から川を見ると 沢山の鯉がいました


・・・・・うじゃうじゃいます。
どのこも 水面から口をパクパクさせています。

この鯉たちは、橋の上の人間に気が付いているのかもしれない。とためしに、すこし先まで橋の上をあるき対岸側へ行ってみて、鯉が付いてくるのか見てみました。
しばらくすると 数匹がこちらに泳いできて、あっという間に私の真下が先ほどと同じ鯉だらけの状態に。 鯉、すごい!わかるんだ!?橋の上にいるヒトが。
でも何も鯉のエサも持ってなく、むやみにエサをあげると川も汚してしまうような気もして「ごめんね、なにも無いのに」と鯉にお詫びをして また小田原宿へと向かいます。

ここから先は小田原市内へと入ります。


日本橋から歩き、小田原市まで。大分歩いたなぁと思うのですが、当時東海道を歩いた人たちは小田原宿を2日目の宿としていたようで、どれだけ健脚なんだろうと愕然とします。
籠屋さんも、50㌔は普通に走っていたそうで、人を載せて50㌔・・・本当に驚きます。

またところどころ、走りながら 歩きながら1号線をまっすぐと。


途中の海が見える場所でのランはとても気持ちが良くて、最高でした。

東海道線で言うところの「国府津駅」を抜け、法船寺の先には酒匂川があります。


浮世絵の中ではこのようになります


広重の東海道53次「小田原」。
春から夏にかけ、増水する酒匂川にはお客さんや荷物をかついで渡る「人足」が居ました。更に増水すると川止になったようですが、浮世絵から 川を越える苦労も伝わります。。


現代では橋を渡れば即 対岸に出れますが、当時を思いつつ渡りました。
橋の欄干に、浮世絵のパネルがありました。

浮世絵の小田原は到着しましたが、宿場はまだもう少し先になります。

しばらくすると小田原宿の道標が。


一里塚を越えて・・・




国道1号に沿ってまっすぐ、ずっと行くと小田原城へと続くのですが、途中の「新宿」の交差点を左折、更に先の道を坂に沿って右折して上ります。

ここからは老舗のかまぼこ屋さんが数軒、軒を連ねます。


写真は坂の上の方からパチリ。
当時このあたりは「万町」で旅籠が5軒あったとか。

さらに先、青物町交差点


こちらがかつての小田原宿の中心地となります。

と、いう事で 小田原宿到着! 

お腹が空いたので食事が出来る場所を探します。

小田原城から少し外れたところに老舗っぽい食事処があったので入って見ることに。

ファミリー向けな食事処だったようで、かなり騒がしかったのですが、おなかが空いていたので、我慢する事にして 定食の「梅」を注文。


ごま油のみで揚げた天ぷら、おさしみ。
お刺身がめちゃくちゃ美味しかった。追加500円で刺身を注文するか迷った程。
ご飯は美味しかったけど、やっぱり騒がしいのがつらかったので、もう少し大人っぽい場所(?)で食事をしたら良かったかなと思いました。

お腹も一杯になったことで、小田原で少しゆっくりしようと 小田原城も見学したかったのですが、残念ながら耐震工事の為見学が出来ず、日帰り温泉へ行くことに。

スマホで探したら「万葉の湯」が近くにあるようなので、お風呂に向かいます。

内湯と露天風呂を堪能し、今日は走ったので汗だくでしたが さっぱり。

ドリンク無料クーポンをスマホで検索して入館したので、お食事どころに行ってみました。


クーポンでアルコールも使えたのでビールを。
いろんな小鉢に値段が貼ってあってそれを購入するシステム。
ビールのあてに、塩辛(200円)を購入。
何だかおじさんっぽいかなぁ・・・
普段、「おばさんっぽい」ってより、むしろ「おじさんじゃん」って言われるほうが多いのは何故なのでしょうか。 謎です。

館内に漫画ライブラリーもあって、漫画好きなので 読みつつビールを頂きました。
塩からもすごく美味しくて、今日の東海道歩き、今までで一番楽しい!とかなり満足。

夕方もう一度 温泉に入ってから、

途中の商店街で干物を購入。


小田急を使って帰途に着きました。

今回の東海道旅、本当に楽しかった。次回はついに箱根越えをします。
さくぽんも同行しますので、久々にさくぽん登場です。

***


◆その後のよもやま話◆
前回の記事で東海道を歩いていた旅人はトイレをどうしていたのだろう・・の疑問について。

宿泊施設、茶店以外の場所でのトイレはお百姓さんが作っていたようで、旅人の糞尿を畑の肥料として使っていたのだとか。

なるほど。

東海道53次、まだまだ続く。

2015年10月12日月曜日

東海道53次ノツヅキ③

東海道53次ノツヅキ
~保土ヶ谷宿から戸塚 藤沢をへて 平塚宿まで~

絶好の秋日和、また東海道を歩いてきました。
前回のお話はこちら

朝5時に起床し、早々と身支度をすませ6時の電車に乗り込むべく駅へ向かいます。
途中、近所の野良猫さん「さびちゃん」に会ったので、おはよう、と頭をなでなでしました。
地元駅から約1時間で保土ヶ谷に到着。

とりあえず、毎度のことながら駅で朝食を取るべく 朝マック。
セットメニューにしたら、サイドメニューのアップルパイまで食べれず、ペーパーに包んで、リュックに入れました。

***


前回の最終ポイントまであるきます。金沢横町道標がスタート地点。

道なりに歩いて行くと東海道線の踏切があり、踏切を越えてすすむと正面に右手に伸びる道がみえます。
ちょうどそのあたりに保土ヶ谷の宿場の本陣跡があり、すこし先に旅籠屋後があります。


本陣というのは、当時宿場ではやみくもに宿泊できる施設が軒を連ねていたわけではなく、大名しか宿泊出来なかった「本陣」、本陣がなんらかの理由で使えない時に使われた「脇本陣」(脇本陣は普段は一般の利用も出来た)また旅籠(古くは食事などは提供できなく、旅人の煮炊きの薪だけを提供していたそうで、いつごろだか食事も提供するようになったとか)茶屋、店屋、また宿場町の中心的存在の問屋場で形成されていたそうです。
本陣は大名しか宿泊できないので、大名行列がある時は良いものの、そうしょっちゅう大名行列は無かった為に、財政はかなり厳しかったようです。

こちらの旅籠屋、普段は見学ができるようなのですが、朝7:30頃だった為開館しておらず、見学は出来なかったです。残念。


しばらく進むと一里塚があります。


一里塚の脇にある外川神社で、本日最初の参拝をし、今日の旅のご挨拶を致しました。街道に戻ると松の並木が続きます。

東海道沿いの松は、東海道が整備された時に国からの命で植えられたもの。
夏の暑いさかりには、松が日陰にもなり、街道をゆく旅人の休憩の場所としても利用されていたとか。


更に進んでいくと「権太坂」に差し掛かりますが、ここが保土ヶ谷宿の外れとなります。
保土ヶ谷宿から戸塚宿へは坂道が多く、さほど急ではありませんが、多少息があがる場面も。

坂を上りきると、周囲は開けて標高約80メートルですが、展望が良く 風が吹き抜けます。
ここがとても気持ちが良く「ああ、素晴らしいなぁ」と眼下の街並みを見て思わずつぶやきました。写真が無くすみません・・・
多くの浮世絵にも使われていた場所だそうで、昔浮世絵師の人も同じような気持ちでいたんだろうなぁと、昔と気持ちを共有できたみたいでとてもうれしかった。

さらに行くと、「焼き餅坂」があります


ここの坂では当時焼いたお餅、「焼餅」を売っていたことから、その呼び名がついたそうな。
確かに、この坂道を下る途中で焼餅を食べてお茶を一杯頂きたいなぁと感じました。

坂を下り、またその先を坂を上り・・・
上ったり下ったりしつつ、歩みを進めます。


品濃坂を越え、さらに戸塚方面へと進んでいきます
東海道沿いには、いくつか古くからの家も残されていたり、昔を思わせる街道の名残があったりします。

やがて戸塚一里塚跡に差し掛かると吉田大橋に差し掛かります。


浮世絵師 広重の描いた戸塚宿はこちら。


こちらが現在です。
目の前の橋は吉田大橋。浮世絵に書かれている手前左はかまくら道です
橋を渡った先には八王子道があり、当時ここは交通の要の場所だったようです。

橋を渡り、先を進むと神社がちらほらあります。


富塚八幡宮で、参拝をしました。
歩きはじめはまだ涼しかったんですが日が昇るにつれて夏のように暑く、富塚八幡宮はとても涼しく、ほっと一息つけました。


戸塚宿に入ってから、さほどおなかも空いていなかったのですが、足が痛くなるまえに休憩を入れておこうと小さな公園を見つけたので、朝マックで残しておいたアップルパイを頂き、戸塚宿での「食」としました。

富塚八幡宮の先はもう戸塚宿の西の外れになります。
ここからまた坂がはじまります。
本当に戸塚は坂が多かったです。
上りきり、下りはとても気持ちが良く道中飽きることなく歩けました。


途中、いくつかの東海道の案内板もあるので、自分の歩いてる歩道側にある見れるものは一つずつ見て行きました。

やがて最後の坂「道場坂」を越え、境川に差し掛かり 遊行寺橋を渡ると藤沢宿に至ります。


浮世絵の藤沢宿はこちら。


いまいち、場所が正確なのかわからないのですが(一応案内板がありました)
こちらが現在のようす。

浮世絵でも現在でも、奥にみえるのは遊行寺。写真だと逆光なのもありわかりずらいんですが、奥の森っぽくなってるところが遊行寺になります。

時刻はお昼すぎ頃。
藤沢宿ではお昼ご飯を頂こうと、宿場をさらに歩いて行きます。

小田急電鉄の藤沢本町駅の裏手にある お好み焼き屋さんで 豚丼を食べました。


お好み焼き屋さんなのに、なぜ豚丼?って思ったのですが、かなり美味しかったです。ちょっと量が多く、少し残してしまいました・・・ 美味しかったのに残念。大きい胃袋が欲しいです。

ここからは、また次の宿場を目指します。
今日はまだ元気なので、どんどんいきます。


東海道沿いに 建ってました。 日本橋から54㌔。
結構歩いたと思ってたけど、まだ54㌔なのですね。


引地川を渡り(写真だけ撮ってたので定かではないんですがおそらく)


更に行くと神奈川県の中では唯一、富士山が左側に見える名所へと道は続きます。
(目で見た時にはうっすら富士山が見えたんですが、分かりにくいので赤マルをつけました)


更に行くと鶴峯神社の入り口。
参道両側に1㌔続く松並木があるとの事で、参拝したいなぁと思ったのですが、1㌔また歩くのか・・・と思って、参拝を見送りました。

今回はなぜこんなに、先を急ぎつつ歩いているのかというと、10月中に、小田原宿まで行きたいからなのです。

地図を見ていて、箱根を越えるのに冬はちょっといやだなぁ。雪とか降ると大変だし、なんて思っていて、どうせなら秋の紅葉の時に歩きたいなぁ・・・ 
せっかくだし、小田原宿から箱根宿では、箱根で一泊しようかな、さくぽんも連れて!と、どんどん頭の中で計画が進み、そのため10月中には小田原まで辿りついていたいのです。その為 サクサクと歩きます。


相模川では、また富士山が右側に見えます(赤マルしました笑)


相模川の奥、相模湾の手前ではウインドサーフィンを楽しんでいる人がたくさん見えました。(思わず、頭の中にサザンの曲が・・・)

藤沢宿から、平塚宿までは結構距離があって、足がちょっとずつ痛くなってきました。

そして直射日光をよけたくて、車道を挟んだ東海道の左側をずっと歩いていたんですが、残念なことに一里塚などポイントとなるところが全て車道を挟んで右側の道に集中していた為、全然写真も撮らず、ひたすら歩く東海道。

時折、「昔の人はトイレとかどうしてたのかな・・・ 今はコンビニとかでも貸してくれるけど」など またもや 東海道53次クエスチョンを考えつつ歩きました。

相模川を越えると、一里塚があります。


「一里塚」もだいぶ沢山見たなぁ。。
もう、ここまで来ると平塚駅がだいぶ近いです。

平塚宿は、平塚駅から、東海道に出た先、更に700メートル程行った場所にあるので、東海道左手側奥に平塚駅が見えましたが、更に歩きます。

700メートル程、商店街の中を歩き、平塚市民センター付近に、「平塚宿の江戸見附跡」があります。ここが平塚宿のはじまりで、ここから更に西へ1㌔程 平塚宿は続いたようです。


浮世絵の平塚宿はこちら。
浮世絵の中のくの字にまがった先に平塚宿が描かれていて、浮世絵奥の山は高麗山です。

この浮世絵がどの場所から描かれたものなのか、場所をうまくみつける事が出来なかったのですが、平塚宿の起点となっているところに歩道橋があるので、歩道橋から先に続く平塚宿の街並みを撮ってみました。


それがこちら。
また、逆光で見えづらいんですが、奥にある山が浮世絵と同じ「高麗山」です。



今回の旅はここまでにしようと、歩道橋の上で自分に「お疲れ様でした」と言いつつ、
平塚駅までの商店街を見つつ、駅に向かいます。


途中、なんだか美味しそうなパンを発見して買いました。
たまごぱん。
こうゆう、素朴なパンって美味しいですよね。

今回の東海道ノツヅキ、保土ヶ谷宿から平塚宿はだいぶ歩きました。
坂が多かったので、さらに歩いた印象があります。

保土ヶ谷宿から戸塚宿まで8.8㌔、戸塚宿から藤沢宿まで7.8㌔、藤沢宿から平塚宿まで13.7㌔の計30.3㌔を歩きました。

暑かったですが、途中の坂の風や、相模湾からの風、坂の上からの展望、とても気持ち良く歩けました。

次回は平塚宿からのスタートです。東海道53次、まだまだ続く。

***


◆その後のよもやま話◆

前回の東海道の旅路で、横浜開港当時、お寺に宿泊されていた外国の方たちは精進料理を食べたのか?のクエスチョンについて調べました。

答えはノーでした。

お寺に宿泊されていた外国人の”ご一行”様の中には料理を担当していたかたが居て、私の読んだ資料では中国の方と記載がありましたが、パンを作っていたそうです。またお米も食べたそうですがお魚は好まなかったとか。
唐揚げとか普通に調理していたようで、当時の調理方法も資料で読みましたが結構グロい描写だったのであえて書きません。。
外国の方のお世話を命じられた日本の担当の人は結構細かく国から言われていたようで、「物々交換の禁止」だとか、色々制限があったようですが、それでも異国の方とうまい具合に交流を持てた方もいたようです。

旅の中で思った疑問は、帰宅後調べるのが好きなので、今後「よもやま話」として、ブログの文末にUPしていく予定です。

それではまた。