2016年9月4日日曜日

東海道53次のツヅキ⑪

東海道53次のツヅキ⑪

~丸子宿から岡部宿まで~

前回のお話はこちら

夏休みが今日から始まりました。今年は9日間。第1日目は東海道53次のツヅキを歩いてきました。


前回の記事でも触れましたが、今回は友人が一緒に行くと言っていたので2人で歩いてきました。
気分は東海道中膝栗毛のやじさん きたさんです。

朝7時に東京駅で待ち合わせをして、青春18きっぷを使って、東海道線で熱海まで。

熱海から乗り換えて静岡駅まで。 3時間半くらいかかりました。

静岡駅からしずてつライナー(バス)を使って、丸子橋で下車。


バス乗り場にも「さくらももこ」さんの絵が。

丸子橋で下車すると、前回の終着点 丸子宿名物 とろろ屋さんの「丁子屋」さんがあります。

友人はきっと清水駅からは丸子宿まで歩いてくれないと踏んで、「とろろが食べたい」と真っ先に言っていたので、今回の旅のはじまりも最初にとろろが食べれるようにしました。


丁子屋さんの前でパチリ。

開店が11時なのですが、11時15分くらいに着きましたが、お店のなかには結構お客さんがいました。

お店の中にはいろりもあって、土間があり 昔の造り。
お店の奥は改築されているのだと思いますがかなり広く、多くのお客さんが来ても わりとすぐ座れる感じでした。

小鉢とお刺身が付く「立ち葵」を注文。 メニューはとろろ汁と麦めし、お新香がセットになっているものから 何種類かのセットメニューと単品料理に分かれてました。


麦めしはおひつで運ばれてきて、とろろと薬味をごはんにかけていただきます。



このとろろ汁、白みその風味で めちゃくちゃ美味しいです。

かつてこの宿場を訪れた人は このとろろ汁で力を出して、その先の旅路も歩いたんでしょうね。

写真を見ていたら、もう一度食べたくなりました・・・

店内には、東海道53次の浮世絵も飾ってありました。


まだまだ半分も歩けてないので、先は長いですが とても楽しみでもあります。

とろろ飯でおなかを膨らませると、お店を出て旧道を歩き始めます。


お店の向かいが旧道とつながっています。

すぐ脇に高札場もありました。


高札を少し読んでみると、人足の駄賃の設定など事細かに記されており、各宿場で 常に安定した運営ができるよう、決められているようでした。


時刻は13時過ぎ。

太陽が真上にあり、炎天下。日陰になる場所も無し。

日焼け止めは塗っていましたが、日傘も必要でした・・・

丸子宿から岡部宿へは距離は7.8キロとさほど遠くないのですが、途中「宇津ノ谷峠」を越える場所があるので、なかなか歩きごたえのある街道だと思います。

旧東海道は国道1号と交わりつつ、また少し逸れつつ 並行を保ちつつ続きます。

あまりにも炎天下がしんどく、途中コンビニがあったので避難しました。

水分と日焼け止めを買い さっそく体の露出している 腕と首、顔に日焼け止めを「これでもか」というほど塗りました。

道なりに進んでいくとやがて 左手側に道の駅があります。

道の駅で少し休憩をとり、その先 宇津の谷トンネルへと国道1号は入りますが、旧道はその手前の陸橋を国道を渡る感じで トンネルを迂回するような感じに進みます。


陸橋の下から見た空が、秋の訪れを少しだけ告げているようでした。


さて、陸橋を渡ります。

陸橋を渡っている時に友人に「写真撮って~」とおどけて歩いているさまを撮ってもらいました。


良く見ると鞄があいてます。(教えてくれたら良いのに 笑)

今日はお気に入りのSOUSOUのもんぺと足袋靴を履いてきました。

暑いので首に手ぬぐいを巻いていたら「まるっきり農家の人みたい」と言われたので「そう?」と言いつつ先を歩きます。

陸橋を越えると街道は 昔の面影を残した道へと変わっていきます。


セミの鳴き声を聞きながら歩く。


このあたりはとても静かで気持ちが良いです。


川も流れています。


こちらは、宇津の谷の里の入り口。



旧道沿いの両脇に並ぶ民家には 木の板に昔の屋号が書いてあり、今でもその屋号でお互いを呼び合うとか。

今回、友人が一番行きたいと言っていたのがこの里で、かつて小田原征伐に東海道を下った豊臣秀吉が馬のひずめの草鞋を変える為立ち寄った民家の亭主が 草鞋を3つ差出し、なぜ3つしか草鞋を出さないのだと亭主に秀吉が聞いたところ4つの4と言う数字は「死」を表わす縁起の良くない数字だったため、3つをお使い頂き、無事に小田原から戻られた時にもう1つの草鞋をお渡ししますので、どうか御無事で御戻り下さいと伝えたところ、秀吉が大層気に入り、ぶじ小田原を征伐した後、またこの里の民家に立ち寄り、自身の着ていた陣羽織を民家の御主人にほうびに渡したことから、「お羽織屋」と呼ばれる民家となった家が現存しており、豊臣秀吉が与えた陣羽織も、いまもなお残っているのです。

この陣羽織がぜひ見たいと友人はあつく語っていました。

私もそういったものは大好きなので、2人ですぐ「お羽織屋」へと足を運びました。


お羽織屋はこちら。

中が見学できるので中に入ると、おばあちゃんが迎えて下さり、お羽織屋の歴史、展示されている品物の解説をして下さいました。

残念ながら中は撮影禁止の為写真はありませんが、豊臣秀吉の陣羽織も観ることができました。

このあたりは戦争中も空襲も無かったそうで 食べ物が無い事でネズミが和紙などを食べてしまい、書面などは淵を食べられてしまったりしたそうですが、陣羽織も骨董品もかなりきれいな状態で残っているとの事。

陣羽織は以前東京の博物館の方がぼろぼろになっている部分を1年くらいかけて直してくれたんです、とおばあちゃんはおっしゃってました。

展示されているものの中には大岡越前の署名のある書物もありました。
びっくりです。

このお羽織屋さん自体建物は400年前のものだそうです。

おばあちゃんに話しをたくさん聞いて、お礼を言ってお羽織屋さんを後にしました。

おばあちゃんのお話、とても面白かった。


里の先石段の道が旧道です。

石段を登りきって、右手側の細いみちを進み、少しいったところに宇津の谷峠の入り口があります。

途中、栗の実がたくさん落ちてました。



普通に山道なので 友人は「え?ここを行くの? ほんとに?」と言ってましたが「峠を越えるから、山道だけど いくらか歩きやすいようだから大丈夫だよ」とはげましつつ歩く。


最初に現れる竹林。 日が差してとても綺麗でした。

実際に、山道と言っても、つらくなく登れます。




お堂の石垣が残ってたりする場所があります。


道も整備されている場所がある為、友人もつらくなかった様子。(良かった)

30分くらいでしょうか、あっという間に峠を下りました。

さて、浮世絵 東海道53次「岡部」はこの宇津ツ谷峠を下る途中、逆側から丸子方面をみた絵となっています。



峠越えが意外とさっくりと終わってしまったためどこから写真をとるか迷っていたら 峠を越えてしまったので、おりた先の写真を現在の浮世絵の場所の比較写真として撮ってきました。

現在のようすはこちら。


あまり比較っぽくないですが、峠を下ったところになります。

***

この先旧道は道なりに進み、「蔦の細道」と合流するところを左手に入り、国道を越え国道1号 岡部バイパスを大きく迂回するような形で進みます。

途中、お茶を無料で飲めるところがあり、お茶を頂いて御主人にまた昔のお話を聞いたりしつつ、さらに先へと進むと 岡部橋が見えます。


この橋を越え、少し行った先が岡部宿となります。

岡部橋から10分ほどでしょうか、柏屋資料館が見えてきます。



こちらは かつての旅籠で、中は見学が出来ます。

やじさん きたさんの復元模型もありました。


私の右の人がやじさん、左の人がきたさん(だったかな・・・?)後ろは宿のおかみさんです笑。


なかの造りはこんな感じ。

資料館の奥には蔵もあり、なかなか見ごたえのある資料館です。

柏屋さんを遠景でパチリ。



こちらも趣のある建物です。むかしもこんな感じだったんでしょうね。屋根は茅葺だったかもしれないですが。

この先には問い屋場跡もあります


ということで、岡部宿到着!!

この後はバスで藤枝まで出て、藤枝駅でお弁当を買い 熱海までまた東海道線で戻り、熱海から鈍行のグリーン車を使って帰ってきました。

ほんとは熱海で日帰り温泉でも寄って行こうか、と話していたんですが 時間が結構遅く 今回は新幹線を使わずすべて鈍行で帰ってきたため乗車時間も長く 温泉に入る時間が取れなかったので、とても残念でしたがそのまま帰宅しました。

電車の中写真を見ながら 今回の東海道について あーだこーだ言いつつ帰ってきてとても楽しい旅路でした。

次回は浜松らへんでまた合流したいと言っているので、また友人と東海道を歩く日がさほど遠くなく訪れそうです。

東海道53次のツヅキまだまだ続く。

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