2017年2月5日日曜日

東海道53次ノツヅキ⑭

東海道53次ノツヅキ⑭

~袋井宿から見付宿をへて浜松宿まで~

前回のお話はこちら

新年明けて(と言ってももう2月ですが)最初の東海道53次の続き、歩いてきました。

先ほど帰宅してお風呂に入って、道中を思い出しつつ記事を書いています。

今日も行きは「ぷらっとこだま」を使い、一番早い時間のこだまで浜松駅へ。浜松駅から東海道線に乗り換えて、前回の終着点まで 袋井駅まで戻ります。

電車で戻ると20分位なんですが、この後何時間もかけておなじ浜松駅まで歩くのです。

今回もとても良いお天気。日に焼けそうだなぁ・・・と また帽子を持ってくるのを忘れた事を思い出しながら歩く。


袋井駅から北へ歩き、前回の終着ポイントとした袋井宿の「どまん中茶屋」まで。

前回の東海道の記事で、写真に撮った歌川広重 浮世絵の「袋井宿」 現在の様子と比べて載せていて 現在の場所の方向を含め合っているか少し心配でしたが、今日改めて確認したら、浮世絵比較の写真の方角もあっていました。

こないだは暗い中、さみしい気持ちで歩いたこの道も、今日はまだ朝早く、すがすがしく とても気持ちも軽やか。


ほどなくして横断歩道の向こう側に「どまん中茶屋」が見えて参りました。

ボランティアの人がいたので「おはようございまーす」と声をかけたらお茶を入れて下さいました。

しばし茶屋でガイドのおじさまとお話する。この袋井宿は後から造られた宿場だったそうで、掛川宿から見付宿までの間が長かったので お上の命により造られたそうです。

ガイドのおじさまが 袋井の古今地図を下さいました。


巻物風になっているマップ。

嬉しい! ありがとうございます!とお礼を言って、茶屋を後にします。 

お家でうきうき観るんだ~♪と、テンションもあがりつつ旧道を進んでいき、右手に白鬚神社が見えたので 今日一日のご挨拶に参拝させて頂きました。

その少し先に袋井東本陣跡。


さらに少し先に高札場も。


旧道を西へ 西へと 歩きます。

時刻は御昼少し手前で、くるくる寿司が近くにあったので ものすごい速さで5皿を平らげ、また歩き始めます。(時間にして30分かからないくらい)

途中、川を渡り先へと進むと木原畷古戦場跡へと続きます。


木原畷古戦場とは かつて武田信玄が木原に陣を張り、浜松城を守る徳川家康の偵察隊と衝突し、6年後に武田の隠密が打ち取られたと記録されています。


木原畷石碑の横には家康公が腰かけたとされる石がありました。

手前向かい側には一里塚もあります。


こちらは復元された一里塚ですが、道中にたしかにこのような塚があったら目印になります。

盛り土をされた上に榎が植わっていますが、(これがオーソドックスな一里塚だったらしい)一説によると家康公が「一里塚にええ木を植えよ(良い木を植えよ)」と言ったのを、”ええき”の部分を「榎」と聞き間違えた役人が一里塚に榎を植えたとかなんとか。 ・・・・・・・・・・・ほんとに?

さてさて、東海道は太田川を越え 松並木を残し昔の情景を思わせる道をさらに西へと進みます


この先、国道1号と交わる先に目印となる「遠州鈴ヶ森」の立て札があり、国道1号とやや道を逸れる感じで進んでいくのですが、この当たりは明治の旧道や大正の旧道があり はて一体この道で合ってるんだろうか・・・と不安になりつつ歩いていたんですが 若干道を逸れた先に案内板がありました。


ちょっとわかりずらい・・・


遠景から撮ったものですが、旧道は茶色の案内板のすぐ先 左奥。 私はその1本右側の道を歩いてました。 なんとなく歩いているだけで最近は旧道がわかるようになってきましたが、地図も見ながら歩いているのに、実際は少しそれてしまったりします。
(それでも歩き始めた時とは格段に道がわかるようにはなったので自分の中では良しなのですが)

気を取り直して また歩きます。

少し歩いていたら、東海道を歩いているツアーであろう団体さんと数組鉢合わせました。

結構な人数で固まっているので、団体さんより先に歩きたくて 走ることにしました。

今日はランニングはしない予定だったのでランニングシューズでないうえにダウンも着ていたのであまり走るのに向いている格好では無いのですが、自分のペースで歩きたかったので しばし走ります。 結局今日は団体さんを6組ほど見かけてその都度走るようにしました。

そんなこんなで予定より早いペースで見付宿へとたどりついたようで、木戸跡を発見。


木戸は宿場の一番東と西にあったので ここから見付宿のはじまりというわけです。


足元のタイルも昔の宿場を思わせる絵が。

道なりに進んでいくと宿場のかつての跡が標示されているので、当時を想像しながら歩きました。


宿場で馬などの手配をしていた「問屋場」跡は静岡銀行の前にありました。


見付宿の標示。

それにしても良い天気! 

かつて宿場はこの道沿いで多くの旅人を迎えたり 送り出したりして日々の生活を送っていたんですね。冬のこんな晴れた日には、昔の旅人も空を見上げつつ歩いたのではないかしら?


こちらは本陣跡。 奥は交流館で、ボランティアガイドさんがいらっしゃいます(今回は寄らず、先に進みました)


そして宿場の西の端、西木戸跡。

磐田駅へと続く道を左へと折れ、まっすぐ進み磐田駅の手前を右手へと折れ西へ進みます。

この先でも団体さんが数組いらっしゃったので走りました。

途中に常夜灯。


常夜灯がある以外は特に史跡もないので、ずーっとまっすぐな道を時折走りつつ 進みました。
やがて天竜川へと道は続くのですが、ここで 歌川広重東海道53次「見付」の紹介。


こちらが浮世絵の「東海道五十三次之内見附天竜川図」。天竜川を渡るようすが描かれています。

現在の様子はこちら。


川に架かる新天竜橋から撮りました。

天竜川もとても綺麗な川。1級河川だそうですが、1級とか2級って何だろう?と思って調べてみたら国土交通省が定めているようで、国が管理しているのが1級。原則として2つ以上の都道府県にまたがっている重要な河川だそうな。 水質の綺麗さで1級とか2級とか分かれてると思ってました・・・。調べてみて良かった。

新天竜橋を渡り、すぐ道は左手へと逸れ 川の手前の道を行くと旧道の標示があります。


この道の少し先には船の渡し場跡があります。


が、今回は渡し場は見ず、先へと進みます。

左手側に「明善記念館」があり、向かいには生家が残されていて、中も見学できるようでした。


江戸時代から残っている建物だそうで、中を見学したかったのですが・・・・

東海道ツアーの団体さんが中にたくさんいて入れませんでした・・・。


雰囲気のある素敵な建物。中、見たかったなー・・・と後ろ髪惹かれつつ、先へ進むことに。


この先はいくつか松並木を残す道がずーっと続きます。

途中一里塚がある以外は浜松駅のほうまでずーっと一直線に続きます。 

ただひたすら無心で歩きました。途中に休憩できる場所もなく、ほんとうにただひたすら歩きました。

浜松駅の手前 馬込川を越え、遠州鉄道の高架下をくぐり152号線とぶつかると、(連尺交差点)左手へと折れます。ちょうどそのあたりが浜松宿となりますが、今では現存する面影はほどんどなく「跡」のみです。


かつては賑わっていた宿場や、旅人の休息の場となった松並木も、道路の拡張工事などで姿は消していきます。

これからもっと消えていくのかも知れないと思うと、現存している姿を早く沢山みたくなります。


浜松宿の標示はあります。


こちらは本陣跡。

かつて浜松宿は本陣が6軒あり、箱根とならぶ大きな宿場だったそうです。それもそのはず、徳川家康の住んでいた浜松城がありますから。

ということで、浜松宿に到着!したので、今回はここを終着点として 少し浜松をふらりとする事にしました。

まずは浜松城へ向かいます。

家康が17年過ごした浜松城。


天守閣は復元されたものですが、ついこの間小田原城をみたばかりなのもあって 「なんだか小さいな・・」と思いました。 歴史好きな友人に浜松城の話をしたら今度行ってみたいと言ってたので 今度は友人と一緒にまた来る気がしたので、じっくりとは見ず、さらっと見て流しました。

城の中には家康の若いころを3D化した 復元徳川家康が等身大でおりました。


徳川家康ってこんな感じだったっけ・・・・・・・・・・・ 今まで見てきた家康の自画像と言ったら こう、目玉のぎょろっとしている ずんぐりした感じの・・・・。

結構イケメンに復刻されていたので戸惑いました。実際の御顔はどんな風だったんだろう。

***

浜松城を後にして、浜松駅へ行き 名物「浜松餃子」を食べました。

餃子どーん。

10個一人で食べちゃいました。もっちり皮に ジューシーなんだけど わりとあっさりな感じの具。凄く美味しかったです。

駅でお土産を買って、新幹線で(帰りはひかり)びゅーんと帰ってきました。

***

今日は袋井宿から見付宿 5.8㌔、見付宿から浜松宿16.4㌔ の22.2㌔(実際はお城も行ったりしてるので24㌔くらいでしょうか)歩きました。

ランニングシューズじゃない靴で走ったりしたので、ちょっと足が痛いです。
次回はちゃんと走れる靴で歩こうと思います。

そんなこんなの東海道53次ノツヅキ⑭これにて終了。
次回は4月頃歩こうかと思っています。

東海道53次の旅、まだまだ まだまだ 続きます。

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